ぼくを葬る(おくる) (2005)  

文字数 664文字

【夕陽とともに死す】 2007/2/9



全く予備知識なしで観てびっくりした。
これが現代のフランスの文化なのかって。
ストーリーは、ゲイのカメラマンが余命3ヶ月と告知されるが、
治療を断って死を迎える・・・という さほど珍しいテーマでもない。

通常このようなテーマの場合残りの時間を精一杯強く生きて、
何か自分の痕跡を残したり、真実の愛を見つけたり、家族愛を確認したり・・・
があってしかりだろう。
主人公はただ静かに死んでいくだけである。

祖母(ジャンヌ・モローなのだ)にだけは真実を打ち明けるが
両親や姉には何も告げることなく夏の海水浴場で息絶える。
海辺が夕陽に満ち、やがて陽が沈み、夜の帳の中に消えていく
彼のシルエットには悲しさと荘厳さがあふれていた。

僕が驚いたフランスの文化とは、ゲイの実態、コカインの蔓延、代理夫など。
そして、これらがさらりと映像化されていることだ。
監督のゲイ的視点とそのライフスタイルが
どれほどシネマに反映されているかは憶測するのみだが、
確かに僕が知っている死生観とは微妙に違ってると感じた。
ただし、決して不愉快なものではない。

考えさせられたのは、主人公が不妊の夫婦に頼まれて子供を作り、
全財産をその子に遺すことになるが、
これは救いなのかそれとも大いなる皮肉なのか?
主役のメルヴィル・プポー、ラストの減量は役者魂でした!

《余談》:癌のためせっかくのビッグチャンスをキャンセルするエピソードとして、
 東京でヴォーグの撮影があるという設定だった。
 なるほど日本で成功することはいまやフランスでもステータスなんだってわかった。
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