さらば青春の光 (1979)

文字数 828文字

【飾りなしの青春】 1980/5/15



「ザ・フー」については全く知らなかった。
彼らの同名LPアルバムに基づいて製作されたらしい。
ただし、そのような前知識がないと理解できないシネマではない。
60年代初めの若者の生き方、モッズ族と呼ばれた若者グループを、
当時流行した音楽をバックに描く
・・・といえば
もうおわかりのとおり「アメリカン・グラフィティ」のイギリス版なのだ。
そこに観た際立ったイギリスらしさは大きな収穫だった。
まず、アメリカ作品にみられる60年代を懐かしむ姿勢が全く感じられない。
「アメ・グラ」に感じた一種のほろ苦さは、
ここでは一気に突き進む破局に取って代わられている。
本シネマはその意味から、正攻法で攻めてくる。
確かに60年代が懐かしい青春だとしても、
失恋と友情だけの時代だったわけではない、
「アメ・グラ」、「グローイングアップ」、「ワンダラーズ」などに
どこか”まやかし”を覚えるのもその点である。

青春時代に誰もが感じる、やり場のない不満をスポーツや音楽に昇華できるアメリカ人を
半信半疑で納得できないことが多かったのも事実だった。
本シネマの主人公ジミーのストレートな生き方に、
ようやくもうひとつの60年代の総決算を理解できたようで、
僕はなぜか安堵していた。

「クスリ」におぼれるジミーの姿にはアメリカのジャンキー達とは違う
人間の悩む姿が想起されるのは思い過ごしだろうか?
お遊びであるはずの「ロッカーズ」との乱闘に自らの存在を確認するジミーを、
無教養のチンピラ少年と決め付けるだけではすみそうにない心の痛みを覚える・・・・
これこそが過ぎ去った青春への懐かしさにつながっていた。

この、チクッとくる痛みこそイギリス社会を表している。
少なくともアメリカと異なる閉鎖社会イギリスの若者の心の叫びが
ザ・フーと融けあうとき
「アメ・グラ」を超える青春シネマが誕生した。
モッズにしろ、パンクにしろ日本で本当に理解されないのもこの辺りに理由がありそうだ。
邦題(さらば青春の光)は名タイトル。

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