ツリー・オブ・ライフ (2011)
文字数 820文字
【カリスマ だから・・・】 2011/8/15
彼こそは僕にとってのカリスマだ・・・マリック監督のことだ。
他の人はいざ知らず、マリック作品の真髄を理解しているとの自負すらないまま、
夏の妖花に引き寄せられるミツバチのごとく、またマリック映像に耽ってしまう。
それにしても今作品はよりプリミティブなテーマを、より一層難解に撮ったものよ。
受け取ったテーマは命(いのち)の正と負。
「正と負」のさだめは一人神のみに許される・・・・それが真理か?
シネマ冒頭から延々とこのテーマが物語の家族から遠く離れて繰り返される。
人間は高度に進化しただけの動物であっていいのか?
文明、テクノロジーの発展は人間の精神にどれほど寄与したか?
そもそも進化は「正か負か?」
カリスマ信奉者の僕もこのシークエンスは予期することができなかった、
そして戸惑ってしまった。
そこには惑星、母なる地球、海藻、草花、鳥、爬虫類、哺乳類の生誕がショーアップされる、
まるでPVの如く。
僕はこの期にいたって、思い切り全身の感覚を緩める。
映像からその意図するところを汲み取る努力はやめる、ただただ感じるままにした。
そして程なくシネマは喧伝されている
「父 ブラッド・ピット 息子 ショーン・ペーン」に立ち戻る。
気がついてみると、この親子は年代として僕のケースと同じ、またはかなり接近している。
この時代の男親はちょうど価値観の転換期にいた。
経済成長に伴う競争原理が通念になった。
家族は生活水準の高度化を享受する一方で、細切れになる絆を受け入れていく。
父と息子の絆は結ばれることなく、亀裂は拡大する。
この時代のことは僕はよく知っている。
そして現代、息子が自分の非を家族に謝罪する。
だが、その謝りは彼らには届かない。
「生きる」ことはそういうことなのだろう。
また、カリスマに逢えた。
一風呂浴び、ビールをいただいて、
エアコンの効いた(こんなローカルな)劇場でカリスマに再会できた。
「生きる」こともまんざらではない。
彼こそは僕にとってのカリスマだ・・・マリック監督のことだ。
他の人はいざ知らず、マリック作品の真髄を理解しているとの自負すらないまま、
夏の妖花に引き寄せられるミツバチのごとく、またマリック映像に耽ってしまう。
それにしても今作品はよりプリミティブなテーマを、より一層難解に撮ったものよ。
受け取ったテーマは命(いのち)の正と負。
「正と負」のさだめは一人神のみに許される・・・・それが真理か?
シネマ冒頭から延々とこのテーマが物語の家族から遠く離れて繰り返される。
人間は高度に進化しただけの動物であっていいのか?
文明、テクノロジーの発展は人間の精神にどれほど寄与したか?
そもそも進化は「正か負か?」
カリスマ信奉者の僕もこのシークエンスは予期することができなかった、
そして戸惑ってしまった。
そこには惑星、母なる地球、海藻、草花、鳥、爬虫類、哺乳類の生誕がショーアップされる、
まるでPVの如く。
僕はこの期にいたって、思い切り全身の感覚を緩める。
映像からその意図するところを汲み取る努力はやめる、ただただ感じるままにした。
そして程なくシネマは喧伝されている
「父 ブラッド・ピット 息子 ショーン・ペーン」に立ち戻る。
気がついてみると、この親子は年代として僕のケースと同じ、またはかなり接近している。
この時代の男親はちょうど価値観の転換期にいた。
経済成長に伴う競争原理が通念になった。
家族は生活水準の高度化を享受する一方で、細切れになる絆を受け入れていく。
父と息子の絆は結ばれることなく、亀裂は拡大する。
この時代のことは僕はよく知っている。
そして現代、息子が自分の非を家族に謝罪する。
だが、その謝りは彼らには届かない。
「生きる」ことはそういうことなのだろう。
また、カリスマに逢えた。
一風呂浴び、ビールをいただいて、
エアコンの効いた(こんなローカルな)劇場でカリスマに再会できた。
「生きる」こともまんざらではない。