砂の器 (1974)

文字数 769文字

【音楽が雄弁だった、主役だった】 2007/11/29




丹波さんが亡くなって、はや一年が過ぎてしまった。

本シネマ《砂の器》は折々に観直しする類のシネマではない。
日本映画にはない壮大な映像と大胆な脚色に驚き感動した思い出が強く、
心に刻みこまれたシネマだから。

今回、丹波さん追悼の為デジタルリマスター版を観たわけだが、
カラー、影像のクリアさなど記憶以上に上質だったのが今一度の驚きだった。

一方で僕には丹波さんの大仰な演技という記憶が残っていたし、
自分自身の中でもその記憶を醸成してきたらしいが、
今回観たところこれは僕の思い違い、
彼の上手さが悲しいぐらい目立っていた。

もっとも出演者全員、皆 上手かったことにあらためて気づいた。
丹波さんと同様これら名優たちが鬼籍に入ってしまっていることにふと気付き、
あ~自分も年をとったと愕然とした次第だ。

さて、ミステリー原作を映画化するのは一般的には困難といわれているが、
こと松本清張原作に関しては日本人の情緒そのものがテーマであるためだろうか、
例外的に映画化が多い。
清張が社会派と呼ばれ、その時代の社会問題を切り取る力量が高く評価されているが、
そのベースには日本人に対する奥深い愛が感じられて仕方が無い。

橋本忍・山田洋二の脚本は「砂の器」に描かれる清張の深い愛を
美しくも悲しい映像とイマジンの領域に天空高く昇華させ、拡大した。
謎解きキーワードが「言葉」、
加えて芸達者な俳優たちが味の濃いせりふをしゃべっているにもかかわらず、
作品全体の印象が寡黙なのは、その成功の証に違いない。

そしてなにより、
日本の四季を背景にした悲しい父子の放浪映像にかぶさるピアノコンチェルト、
楽曲の切なさは日本映画史上稀なる快挙だ。
音楽が雄弁だった、そして主役だった。
こんな映画で一枚看板を貼れた丹波さん、ご苦労様でした。
南無阿弥陀仏。
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