グローイング・アップ (1978)

文字数 683文字

【ポップス泣き落としシネマ】 1979/5/26




ヤナギの下のドジョウを狙うのは、万国共通の現象のようだ。
本作「グローイングアップ」は、ご存知「アメリカングラフィティ」系統のシネマ、もっと絞り込めば1950年代のノスタルジアポップソング青春シネマである。

《アメグラ》がルーカスの才能の開花であったのに対してそれ以後は亜流そのものであった・・・・という理論で本シネマも一刀両断にすることもできる。
だが人間の感情は実に脆いもの。
特に、過去りし青春の日々の懐かしい音楽がバックに流れたりすると、もういけません。
そう、《グローイングアップ》は音楽泣き落とし作戦の成功例なのだ。
だから《アメグラ》にみられた青春のターニングポイントを多元的に浮かび上がらせた手法とは大きく異なり、奥の浅さが見え隠れしている。

イスラエルの青春らしい特徴をあげることも出来るが、それはこのシネマの舞台がイスラエルである必然性とは関係ない。
日本にだって、ベンジーのような優しくてドジな男の子がいたし、当然気になるカワイコチャンもいた。
テーマでもある「青春のにがさ」についても、わざわざ「ミスタ・ロンリー」をバックにしなくても共感できるくらいの、悩みを僕らは皆持っていたはずだ。
性意識については確かに日本は10年ほど遅れていると思うし、青春にセックスの悩みはつきものだが、少なくともセックスに振りまわされるほど、青春は単純なものでもないだろう。
ベンジーひとりに、イスラエルの若者を代表させるのは酷であるが、もっとイスラエルの若者気質を知りたかった。

でも、何で50年代のポップスがこうも人気があるのだろう。

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