それでも夜は明ける (2013)

文字数 997文字

【爽快感が乏しいのはなぜだろう】 2014/3/9



「老婆心」:(今シネマではこちらを先行させていただく)
南部奴隷州の農園主として「良い主人」と「悪い主人」を
カンバ―バッチとファスベンダーが好演していたが、
「ジャンゴ 繋がれざる者」でデカプリオが演じた狂信的農園主の圧倒的存在感には
及ばなかった。
そう考えていくと本シネマは、
かっての宗主国イギリスから観た「自由黒人」の歴史域を出ていない。
爽快感が乏しいのはそのあたりにある。

メッセージシネマは嫌いではない。
敢えて言えば、「お説教シネマ」も総合芸術娯楽をないがしろにしない限り嫌いではない。
その点では本シネマは惜しいところで高潔になりすぎた。
メッセージを「台詞」で滔々と発信されてしまうと、ちょっとうんざりだ。
曰く;
「一人の善は全員の善に通じる」とか
「法の目指す精神が大切、悪法は必ず捨て去られる」とか
「町をふらりと出てゆく自由こそ人間の基本的権利だ」とか
それも、シネマ最高責任者が役の中で演説してしまうのはあまりにも芸がなかった。
これをして、だれにでも理解できる、わかりやすいとすることもできる。
多分、僕自身が皮肉れているのだろう。

さて、
物語はアメリカ最大の戦争「南北戦争」にさかのぼること20年ほど、
自由黒人が拉致されルイジアナ州で奴隷として売買され12年間「自由」を失うという、
あまり日本人には馴染みのないテーマだ。
まず、リンカーン大統領が尽力した「憲法13条修正」で
奴隷制が法律上消滅する20年以上前に
「自由黒人」という地位があったことすら今回知ることになった。
人身売買は古代からの慣わしであり、犯罪でもあることが改めて告発されている。

シネマのメッセージは「自由の大切さ」、「平凡に生きることの有難さ」だが、
もう一つ「賢い黒人vs馬鹿な白人」の痛快パターンがある。
奇しくも46年前のアカデミー作品賞の「夜の大捜査線」における
「都会の敏腕刑事(黒人)vs田舎警察署長(白人)」が再現されていた。
つまりは、「人種問題」を蒸し返している。
アメリカにとって1世紀半を費やしても人種平等思想を実現できないいら立ちがあるのだろう。

かっては南部奴隷州では黒人は「ニガー」という名の財産、
持ち物であることが再三シネマで強調される。
今すべての黒人がフリーパーソンになったのはいいが、
富の格差が人種間に偏ってはいないか?
製作者の問いかけが聞こえてきた気がした。

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