南極料理人 (2009)

文字数 851文字

【もはや、南極も普通】 2009/12/30



僕は観ていないが近頃また食い物屋をテーマにしたシネマが好評だそうな。
売りは「癒し」ということらしい。
食べることそのものは生きるためになるわけだから、食(しょく)は文字通り命の糧である。
ただし、食べることに発する人間のおこないは波及的効果がある。
その中でも今の時代に重宝されるのが「食」を通じてのコミュニケーション(人とのつながり)だろう。
デフレになればなるほど、経済格差が大きくなるほどに大切なのは孤立からの解放。
幸いにも、日本では孤立化といっても、まだそのとば口にあるに過ぎないが。
さて、
本シネマでは、皆で食事をすることを長期間強制された人々から、逆に孤立という問題を浮かび上がらせている。孤立化の極限状態を南極に設定し、深刻にならない軽さで「人のつながり」を讃える。
舞台のドームふじ基地はマイナス50℃以下という僕の南極知識を超える場所だ。
8名の隊員に食を世話する主人公の笑うことができないはずなのに、笑ってしまう奮闘物語だった。
この観測隊は所謂人間関係の縮図。
普通の職場にも、町内にも、学校にもある普通の軋轢が仕込まれている。
積極派、消極派、否定派、無気力派その他もろもろ・・・当然のトラブルも普通のパータン。

特に盛り上がるカタルシスもないまま、ダラダラと過ぎる料理人生活そのものも退屈といえば退屈で、ふと眠気に誘われもする。
しかし「食」とはもともとそのようなもの、日常の最たるものだ。
料理人本人の運気が低迷するハプニングもこれまた普通。
7人で料理人をカバーできないというところがシネマのエッセンスなのだが、今時腑に落ちない。
僕は残り7人が料理人より美味な手料理を作って料理人を圧倒して欲しかったが、
不味い料理に料理人が涙するのもそれはそれでちょっぴり感激させられた。

隊員一人一人を丁寧にメタファーしているのだけれど、
エピローグまで用意しているのだけれど、
それぞれの隊員もいたって普通だった。

極寒の南極なんてもはやロマンでもなく、冒険でもないのだろう。
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