サード (1978)

文字数 1,238文字

【LOVE 森下愛子】 1979/3/1



キネマ旬報1978年度作品賞に選出されたおかげでやっと名画座で上映され、
ラッキーボーイ永島敏行のデビュー作にご対面できた次第だ。

この点はATGの大きな課題であろう。
アートとかギルドとかの言葉をくっつけても、
シネマは基本的にエンターテイメントであるべき点を考えれば、
ATG専属館が小さくて、設備が悪いようでは仕方がない。
それ以前に、専属館の絶対数不足も大きな問題だが・・・。

いや、これだけの作品が自主制作できる人材がまだ日本に残っているのであれば、
某出版社のシネマビジネスに失望してもいいと思った。
やはりローマはローマ人に、シネマはシネマ人任せたまえ・・・というところか。

まず、少年院の朝から始まって、
主人公サードが殺人を犯してしまった経過を説明するシナリオが見事。
観る者に、次はどんな展開になるのだろうかと考えさせない流れこそ商業映画であろう。
僕の偏見かもしれないが、ATGや自主制作シネマは、
やけに作者の意見、感情が前面に出されていたり、
ひどいものになると、芸術性と称して理解しがたいものになっていたりする。
《サード》も殺人犯少年の内面をもったいぶって解明したりする類かと、
ちょっと心配していたが、これは全くの杞憂であった。

高校生が考え、行動する生々しさが、なんのてらいもなく描かれていて、
まずもって好感がもてる。
若者の心が少年院で癒されるものでないように、
一編のシネマで表現され尽くされるものでもないが、
その揺れる心は確かに伝わってきた。
SBCとの交流の底にある、女への欲望、
自己感想文発表の際、モノローグで呟かれる「くそったれっ」の心、
主人公が最後に友に告げる「自分のスピードで走れ」・・・
これらはひとつひとつ僕の青春の思い出と重なる。

ロングを多用したアップの多い画面も新鮮だし、
街頭でのぶっつけロケはリアリティが生きていて、
風俗描写としても貴重な記録になっている。

校内での初SEXシーンは、「卒業」、「アメリカングラフィティ」に匹敵するレベルの、
実にほほえましく、それでいて下品でない仕上がりだった。
今後楽しく思い出すシーンになるだろう。

これらの点から東陽一監督をロマンチストと思いがちだが、
なかなかのテクニシャンでもある。
僕の覚えている印象的なシーンに、
新聞部(森下愛子)がホテルのベッドで労働歌を歌うところがある。
彼女の家庭環境がストレートにではなく、想像できる仕組みになっている。
また、サードと母親との交流にしても母(島倉千代子)に
「私だって女なんだからね・・・」と言わせ、
サードの気持ちを代弁しているように思えた。

あれだけ裸を露出していた森下愛子を、峰岸徹との絡みでは、
横たわる姿と声だけに留め、観客の想像力を刺激し、
結果としてサードの殺人動機の示唆をしている。
実に東監督はテクニシャンである。

しかしである、
総合的にみて1978年最高作品ほどのものではない。
いくら森下愛子の裸が美しいという強い想いが下支えしても・・・。
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