あの日の声を探して (2014)

文字数 875文字

【ドキュメンタリーで始まりシネマで終わる】 2015/4/27  



ミシェル・アザナヴィシウス監督に油断は禁物である。
今作でも、名作「アーティスト」にも仕掛けられたような
シネマならではの職人技に一本とられてしまった。

勘違いすることがないよう、ここは はっきりとネタバレしておきたい。
番宣のテーマである戦争被害者、それもいたいけな子供のお涙ちょうだい物語ではない。
本作は、戦争に関わる三者の立場を巡りながら
「本当の戦争」がいかに愚劣なものであるかを説きながら、
シネマ的カタルシスに導いてくれる。
その三者とは、
●戦争の犠牲者として悲惨な境遇に追い込まれるチェチェンの家族
●侵略軍である一般的な一人のロシア兵
●戦争時の人権侵害を調査する国際機関(ここではEU 人権委員会)
三者ともロシアのチェチェン進攻戦争の悲劇に何の責任も罪もない。

チェチェン人はイスラム信者というだけでジハードのテロリストとみなされる
偏見の対象となる。
若きロシア兵は訓練の中で単純な殺人マシンに変身させられていく
無差別な殺戮を調査し、告発するEUの調査員は国家の無関心に自らの無力を思い知る。
本当の戦争はこんなものなのだろう。

両親を殺された少年は、おそらくこの後もロシアを憎み、より民族意識を高めていくのだろう。少年は声を出したくないだけ,
心の中にチェチェン人の魂を燃やしているのだった。

ロシア兵は、暴力装置としての軍隊で生き残るためには「人を殺すこと」だと悟り、突き進む。周りの兵士同様、高笑いしながらチェチェン人を虐殺することに陶酔する、
無事帰還してPTSDになるのかもしれないが。

国際社会の介入はほとんど力を持たない、国連もしかり、ましてEUレベルでは無力だ。
人権を守ることは崇高だけど、
携わるEU職員そのものが戦争実態から遊離している、活動は何かの免罪符なのか。
国際紛争、侵略戦争で犠牲になるのは、かかわりあるすべての人びとである。

こんな戦争を繰り返すのが世界の本当の姿だ。

ドキュメンタリー手法で始まり、シネマエンターテイメントで幕が下りる。
またまた曲者パーフェクトシネマだった。

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