奇跡の人 (1979)

文字数 826文字

【今度も完全降参】 1980/6/10



小学生のころに観た同名「奇跡の人」のリメイクである。
前作は子供心に印象深い記憶はあるが、もはや詳細なんか忘れていた。
忘却は当然のこととして、前作の受け止め方はおそらく単純だったろうと推測できる。
小学生には三重苦の少女ヘレン・ケラーの存在そのものがショッキングだったに違いない。
もっと突き詰めても、ヘレン・ケラーに対する同情にくわえて、サリバン先生への畏敬の念が精一杯のとこだろう。

今回涙に咽んでしまった自分を見て、大きな年月の経過を感じる。
今僕はヘレンに対して父親の心で接していた・・・「何も不思議なことではない」といえば、それまでだが、意味するところは、単純に自らの家族をシネマにオーバーラップさせて感激しただけではなく、生命ある生き物、人間に対する広い視野を幾分持ち合わせてきたということである。
言葉を持つことが人類文明のスタートであるならば、20世紀に生きる僕は毎日言葉を使用し、文明を使用し何かを生産しているわけである。
しかし、現実は無目的な言葉を撒き散らしながら毎日を生きている、ヘレン・ケラーのように言葉を見出す喜びを知ることもなく。
正直なところヘレンがうらやましいとさえ感じた。
人は知らず知らずのうちに環境から言葉を習得し、結果として、言葉の持つ基本的そして重大な意義を知らずに、言葉を生きるための道具としてだけしか認識していないような気がする。

言葉は人の思想そのものではないか?

「物には全て名前がある」ことを教えるためにあれほど苦労したサリバン先生。
「WATER」という言葉を・・いや言葉があることを・・・理解したヘレンの喜び。
本シネマはハンディキャップを持ったヘレン、サリバン先生が社会復帰する単純な努力物語とは思えない、人生の真実を教えてくれた。
情報過多の現代社会で失ったものへの悲しみは、ヘレンの喜びと相俟っていっそう僕の涙を溢れさせた。

永遠の名作・・・それも良かろう、今度も完全降参だった。


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