野性の証明 (1978)

文字数 1,359文字

【映画は原作を凌げるか】 1978/10/26



いろんな意味で話題作であることには間違いない。
とりあえず、CFのコピーにもなっている「映画は原作を凌げるか!」に関しては、
ここに大きな皮肉を見ている。
つまりはここにこそ本屋 角川書店の発想である、
「映画ビジネス イコール セカンドビジネス」の本音が露呈している。
「原作を凌げればよい」のなら、あの原作なら容易いことぐらい、
一度原作を読めば誰でもわかることだ。
しかし、角川映画には前科がある。
「人間の証明」では原作を単純に映像化することすら失敗している。
その一方では、桁外れの宣伝プロジェクトによる話題性で
心あるシネマファンは傷つき無念に思ったものである。

さて本シネマ「野生の証明」はどうだったか?
結論から言えば「映画が凌いではいる」が、かろうじてであり、よたよたの勝ちだった。
ほぼ前回同様、本屋ビジネスのプレッシャーに負けそうだったが、
原作にない自衛隊との戦闘シークエンスになってようやくシネマらしい快調な展開になった。
原作を離れたとたん、生き生きとなる点は、
まさに映画が原作を凌いだといえるが、実は原作が愚作だったのが実態だ。

森村誠一氏の「証明三部作」を読んでみた結果、
これほどまでに読者を馬鹿にしたストーリーもない。
「偶然の証明」シリーズとでも、改名したほうが良い。
ただし、森村氏を本格派でないとか、
社会派と呼ぶには欠如するものが多いなどと責めるべきではない。

本質は、森村ブームを演出し、本の売り上げを図り、
あまっさえ映画製作ビジネスにまで拡大した角川戦略の功罪である。
角川映画の根本では、本の売り上げも映画興行の一環と考える。
確かに原作と映画が対決し、
シナジーでの「どちらが凌ぐ」興味があることは論理的にはわかる。
でも、それは《風とともに去りぬ》であり、
《戦争と平和》についてであれば・・・の話だろう。

誤解の無いよう繰り返すと、映画と原作がどんな関係であろうと関係ない。
原作に忠実な名シネマも、原作から離れた傑作シネマもある。
本シネマは、本屋がプロデューサーであるため、
原作の愚作に気遣わなければならなかった
映画作家の気持ちが正直に伝わってくる作品だった。

さて、ようやく《野生の証明》の内容についての感想だ。
佐藤監督も前回の挽回をしようと、
無気力に陥らず、構成に気遣い心地よいリズムを出している。
事件のプロローグのまとめも簡潔、作品の重要なモチーフにもなる惨劇シーンを
ああもあっさりと撮ってしまうとは新鮮な驚きだった。
残念なことにその後の、主人公の行動の複雑さは原作(愚作)が原因、
映画的省略もあそこまでが限界だっただろう。

暴力組織との争いに巻き込まれる主人公、主人公と少女の唐突な生活・・・
など原作を読んだという前提での飛躍が多すぎる。
これぞ角川映画特産の原作執着誤謬である。

ところが話題になったアメリカロケしたという特殊部隊との戦闘シーンから
異様に盛り上がってくる。
そして、ラストに少女の死をもってきた時点で、シネマはついに愚作を凌いだ。
原作が整理しきれなかった父と娘の感情を
「お父さんありがとう」の一言で解決した本シネマから、
角川映画のわずかな希望の光が見えてきた。

健さんのストップモーションにかぶさる銃声は、
角川映画の新しい方向の象徴になって欲しいと思った。
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