動乱 (1980)

文字数 1,175文字

【愛とストイックの破綻】 1980/1/31



興業的にはマーケティング重視が成功した。
今後の映画製作の方向を明るくもした。
その底はすぐに割れるようなものだけど。

あの《八甲田山》の成功が原点である。
日本映画最高の収益を出した《八甲田山》には予想外に女性観客が多かった。
女性が好む題材とも思えず、ロマンチックの欠片も無かったのにである。
現実をみると、しかし、年ごとに減少している映画観客の主力は若い女性に移行してきている。
出された結論が、《動乱》。

男性のストイックな生き方、悲劇に女性との愛を加えて話題性を高め、東映苦手の女性層に食い込むことが企画のターゲットであったろう。実際にこの目論見は当たった。

高倉健と吉永小百合のカップリングは、今残されたスターのなかでの組み合わせとしては随一だ。僕も、白状すると、東映の「青年将校ストーリー」にはさして興味が無かったが、二人の共演には強く惹かれた。
宣伝・広報も小憎いばかりにこの二人の共演に集中していた。
実際は・・・・・二人の話は動乱のなかの単発のエピソードにしか過ぎなかったではないか!
騙された想いで口惜しい。

こうなると、売り出し中の若手プロデューサー(岡田裕介)だろうと、巨匠監督(森谷司朗)であろうと、中身はあの例の戦争秘話物語になるのが東映作品だ。
第一部(!)「海峡を渡る愛」で健・小百合の愛を取り込んだ分、2・26事件、昭和維新の時代背景、当時の民衆心理を描き足りず、たとえば皇道派と統制派の争いすら、単なる権力争いのレベルでしか語られていない。ほとんどの若い観客は、わけの分からないままのようだった。

にしきのあきら・桜田淳子のエピソードも、無謀な若者の悲劇。これをして青年将校たちは単純で血を求める急進グループとしか見えてこない。
米倉斉加年扮する憲兵曹長にしても、職務に命をかける憐れな存在としかうけとれず、皇道派への共鳴の深さなど表面的でしかなかった。何も皇道派の理論、決起を支持する立場ではないが、
昭和維新に散った悲劇の夫婦愛を描くのであれば、もうすこし深く説明が欲しかった。

いや、ちがう、本末転倒とはこのことだ。
宮城大尉が、いかに妻と生き、死んでいっただけに集中すれば、こんな余計な繰言で悩むこともない。
まぁ、好意的に解釈すれば「男の東映」としてサービスに気遣ってのことだろうし、
2時間30分にもわたって愛情物語を貫くのは東映にしても、もともと不得意だったのだろう。

だとしたら、いまさら2・26事件のドキュメンタリー風再現映画を手がけることも無かった。
処刑のシーンがことさら丁寧で、心音が聞こえてくるのも悪趣味。
処刑後、小百合が波打ち際を歩くシーンにクレジットがかぶさり、
おまけに小椋圭の歌が流れる・・・・・最後までちぐはぐな流れだった。

せめてもの救いは吉永小百合の熱演と田村高廣の気迫だった。

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