ときめきに死す (1984)

文字数 1,095文字

【森田シネマにいきづく丸山文学】 2007/4/20



たとえば、
こんな美文で構成された物語をどう映像化しようというのだ?

「視野を埋めている空と海は隅々まで太陽にさらされて、陰りはどこにも見あたらない。
無数の波は絶え間なく水蒸気を立ち昇らせ、大気はけた外れの移動を音もなくつづけている。
水天のあいだにたゆとう光の粒子は私の眼を射てから五体を貫き、ときめきを刺激して魂を浮遊させる。」
(ときめきに死す/丸山健二 求龍堂)

映像化などできるはずもない、そのままには。
シネマと原作に大きな渓谷が横たわるとすれば、
そこを埋めてしまおうとか、
こっちのほうが高いとか、
あっちの樹花が美しいだとかを、
悩ましく思うことはやめたほうがいい。
双方の山並の心地よく、好きな場所に留まればいいんじゃないか
・・・と近年悟るようになった。
なかなか、そう理想どおり、理論どおりには、自分の感情ですら動いてくれないものだけど・・・。

望むべくは、渓谷に橋をかけてくれる映像作家にうまく巡り会えることではないだろうか。
これがまた、残念なことに稀である。
森田芳光の脚本、監督によるシネマ《ときめきに死す》は
稀が実現できた貴重な例外だと思う。
まず何より、シネマの特権である映像がスタイリッシュで、革新的だ。
丸山健二の美文がいっときも留まることなく進化し続けるのと同じように、挑戦的だ。
映像だけで興奮させられる。
登場人物の特異性、突飛な言動は森田脚本の功労だろう、
そして技あり俳優たちがそれをきっちりとカバ-している。
せっかくのシネマだ、美しい女優さんの姿かたちも見てみたいのが観客の習い性。
この要望にも応えてくれる。
もちろん、目玉はジュリー。
丸山健二の創造した「青年」のイメージが、
ジュリーの体に宿って再現されていた・・・けっして褒め過ぎではない。
物語の舞台となった北に位置する都市を映像で切り取ると同時に
青年に「涼しいですか?」と繰り返し他人に問わせている。
青年の燃えたぎる心が発した自然な質問なのだろうか?
彼のバイアスがかりの精神が見え隠れする。
同じように、食事の前にナイフでフルーツを食する青年の癖に、
幼稚だが純粋な危険を予知する。

公開当時僕もこの習慣を真似した時期があったことを思い出し苦笑した。
そのとき僕は間違いなく「ときめいていた」のだった。

丸山文学が森田シネマのなかに確かに息づいていたことを、
かなりの時間を経た今も確認でき、驚いている。
いや、驚くことはない、名作は文学であれ、シネマであれ、
時間に侵されるものなどではない。

森田監督には、高倉健さん主演で「鉛のばら」を映像化して欲しいと、
またまた狂おしく希望してしまった。

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