太陽の帝国 (1987)
文字数 1,505文字
【スピルバーグの良心、クリスチャンの天才】 2009/8/27
《ターミネーター4》感想文をクリスチャン・ベイル絶賛に終始させたものの、
伝説にもなった彼のデビュー作 《太陽の帝国》の記憶が
ほぼ消失してしまっていることに気付き、呆然としてしまった。
人生は冷酷なものよ、あまたの名作に感動してきた思い出はかろうじて残っているが、
シネマの所作、佇まいはアウトオブメモリーになる。
そんな加齢障害を恨んでばかりもいられず再鑑賞させていただいた。
まず、クリスチャン・ベイルに触る前に、スピルバーグを称賛したい。
20年以上前の初公開時、
確か「スピルバーグが描く日本帝国の終焉」らしきニュアンスの
イントロダクションがあったやに・・・。
そのため結果としては日本人が適切に表現されていないという評判があった・・・
と記憶している。
実は僕もその時、まさにそのような想いを抱いたものだ。
「外国人監督には日本人のことなどやっぱりわからないんだ」と決め付けるような、
ある意味では低次元のナショナリズムが湧き出ていた。
今回、この点は間違いだったと反省している。
勇敢で命を惜しまない日本兵は横暴で無教養。
プライドと責任感で圧死しそうな英国人は座して死を受け入れる。
生き残る自由を決して諦めない米国人は富とパワーを象徴する。
長い植民地時代が培った屈折した従順と不服従の上海人。
ここでは人種のごった煮であった「上海」がカリカチュアされ浮かび上がっている。
いや、ファンタジーと受け取った方がより腑に落ちやすい点が多い。
ファンタジーたる要素を構築しているのが幻想的カット、シーン:
■(代表的な)ゼロ戦パイロットとの遭遇シーンに散る火花
■土手の上に立つシンドバッド装束の少年と軍服の侵略者
■B29墜落とそれに先立つ空襲の夜景
■スタジアムに並べられた数々の略奪品
■水田に落下するパラシュート、散乱する缶詰
■マンゴーの黄色に流れ滴る血の赤
■さりげなく光り輝いた長崎のピカドン
ファンタジーは語る:
愚かなる戦争を
愚かなる人間たちを
少年の心の叫びを。
スピルバーグがしなかったこと:
■エンターテイメントに徹する
■ひろく観客に迎合する
■つまりは利益を優先する
その代わりに、スピルバーグは150分もの時間を
ふんだんな実写で埋めることをミッションとした。
《太陽の帝国》には現在のスピルバーグのみならず
多くのシネマクリエーターにはもはや許されない
「シネマの良心」が息づいている。
さて、本シネマ再鑑賞の機会を与えてくれたクリスチャン・ベイル。
当時13歳のクリスチャンこの大作では一枚看板の新人として厚く遇されている。
少年の眼を通したストーリー展開であるが故、この評価は当然だし、
実際クリスチャンは新人それも13才の少年とは思えない、究極の演技を披露してくれる。
若くして世界を制した者に見られる「戸惑い」は微塵も感じられない。
クリスチャンはこのときもう独自の演技スタイルを確立し、さっさと頂点に登りつめた。
「戸惑いがない」とは僕がかってに決めつけた無責任な物言いではある。
しかし、その後の彼の飽くなき俳優としての挑戦は本作品での慢心を否定してくれる。
今、「バッドマン」、「ターミネーター」の
ニアミスキャラクターを矛盾なく演じ分けられるのも
彼の天分と精進の結実だった。
本シネマに観る少年のクリスチャンは恐ろしいことに現在もなんら変わっていない。
ふっと、垣間見せる少年の表情はそのまま
バッドマン、ジョン・コナーに再現される。
不思議な感覚だ。
もしかして少年の裡に閉じ込めた大きすぎる哀しみが、
今甦ったヒーローに乗り移ったのか?
本シネマでデビューしたクリスチャンの原点に触れた思いがした。
《ターミネーター4》感想文をクリスチャン・ベイル絶賛に終始させたものの、
伝説にもなった彼のデビュー作 《太陽の帝国》の記憶が
ほぼ消失してしまっていることに気付き、呆然としてしまった。
人生は冷酷なものよ、あまたの名作に感動してきた思い出はかろうじて残っているが、
シネマの所作、佇まいはアウトオブメモリーになる。
そんな加齢障害を恨んでばかりもいられず再鑑賞させていただいた。
まず、クリスチャン・ベイルに触る前に、スピルバーグを称賛したい。
20年以上前の初公開時、
確か「スピルバーグが描く日本帝国の終焉」らしきニュアンスの
イントロダクションがあったやに・・・。
そのため結果としては日本人が適切に表現されていないという評判があった・・・
と記憶している。
実は僕もその時、まさにそのような想いを抱いたものだ。
「外国人監督には日本人のことなどやっぱりわからないんだ」と決め付けるような、
ある意味では低次元のナショナリズムが湧き出ていた。
今回、この点は間違いだったと反省している。
勇敢で命を惜しまない日本兵は横暴で無教養。
プライドと責任感で圧死しそうな英国人は座して死を受け入れる。
生き残る自由を決して諦めない米国人は富とパワーを象徴する。
長い植民地時代が培った屈折した従順と不服従の上海人。
ここでは人種のごった煮であった「上海」がカリカチュアされ浮かび上がっている。
いや、ファンタジーと受け取った方がより腑に落ちやすい点が多い。
ファンタジーたる要素を構築しているのが幻想的カット、シーン:
■(代表的な)ゼロ戦パイロットとの遭遇シーンに散る火花
■土手の上に立つシンドバッド装束の少年と軍服の侵略者
■B29墜落とそれに先立つ空襲の夜景
■スタジアムに並べられた数々の略奪品
■水田に落下するパラシュート、散乱する缶詰
■マンゴーの黄色に流れ滴る血の赤
■さりげなく光り輝いた長崎のピカドン
ファンタジーは語る:
愚かなる戦争を
愚かなる人間たちを
少年の心の叫びを。
スピルバーグがしなかったこと:
■エンターテイメントに徹する
■ひろく観客に迎合する
■つまりは利益を優先する
その代わりに、スピルバーグは150分もの時間を
ふんだんな実写で埋めることをミッションとした。
《太陽の帝国》には現在のスピルバーグのみならず
多くのシネマクリエーターにはもはや許されない
「シネマの良心」が息づいている。
さて、本シネマ再鑑賞の機会を与えてくれたクリスチャン・ベイル。
当時13歳のクリスチャンこの大作では一枚看板の新人として厚く遇されている。
少年の眼を通したストーリー展開であるが故、この評価は当然だし、
実際クリスチャンは新人それも13才の少年とは思えない、究極の演技を披露してくれる。
若くして世界を制した者に見られる「戸惑い」は微塵も感じられない。
クリスチャンはこのときもう独自の演技スタイルを確立し、さっさと頂点に登りつめた。
「戸惑いがない」とは僕がかってに決めつけた無責任な物言いではある。
しかし、その後の彼の飽くなき俳優としての挑戦は本作品での慢心を否定してくれる。
今、「バッドマン」、「ターミネーター」の
ニアミスキャラクターを矛盾なく演じ分けられるのも
彼の天分と精進の結実だった。
本シネマに観る少年のクリスチャンは恐ろしいことに現在もなんら変わっていない。
ふっと、垣間見せる少年の表情はそのまま
バッドマン、ジョン・コナーに再現される。
不思議な感覚だ。
もしかして少年の裡に閉じ込めた大きすぎる哀しみが、
今甦ったヒーローに乗り移ったのか?
本シネマでデビューしたクリスチャンの原点に触れた思いがした。