ヘアー  (1979)

文字数 749文字

【反戦の名誉回復】 1980/5/15



《カッコーの巣の上で》の延長線上に位置するがあの重苦しさはない。
ミュージカルであることもさることながら、ミロス・フォアマンに「まるみ」が感じられる。
もともと「ヘアー」は反戦ミュージカルとしてショッキングな話題を引き起こした。
舞台は観ていないがシネマはかなり趣の異なるものに仕上がってるのではないだろうか?
何より、「ベトナム反戦」、「徴兵拒否」等のエピソード自体が既に過去のものになっている事実はどうしようもない。
この2~3年ハリウッドにおいてもベトナムの総括がされてきたことを想いおこせば、いまさらベトナム絡みの作品でないとの印象は強い。
だからといって、いわゆる「懐かしの60年代風俗シネマ」ではない。

反戦ヒッピー連中が徴兵通知を焼き捨てている一方、田舎から入隊の為ニューヨークに出てくる若者たちもいた。だからこそあれほどの若者がベトナムで死んだ。
だが、ヒッピーもまた友情を尊ぶ健全なアメリカ市民であったことを《ヘアー》は訴えている。
友の為に身代わりとなって死んでいくヒッピーの若者は、けっして皮肉な運命に巡り会ったのではない。
ヒッピー(クロードやバーガー)の思想そのものがアメリカの自由な精神の証しなのである。
彼ら、ヒッピーの死が象徴するものは、は60年代アメリカ青年の一般的な生き方だったのかもしれない。

ところで、最近のミュージカルは短いカットで歌やダンスをつなぐスタイルになっているが、どうも居心地が良くない。
それとも、本シネマはミュージカルというより寓話、あるいは伝承された昔話をイメージしたのだろうか?
それほどまでにベトナムは昔話になった・・ということか。

まぁ、ミュージカルだから、そう熱く深刻になることもない。
気楽でさわやかだけで十分なのでしょう。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み