のぼうの城 (2011)

文字数 825文字

【「萬斎のぼう様」がそこに息づいていた】 2012/11/11



犬童監督らしからぬ戦乱スペクタクルに、先ずもってビックリした。
実は犬童監督と「のぼうの城」シネマ化がどうしてもうまくシンクロしなくて
観るのを控えていたが、観ないととんでもない失敗を犯すことになるところだった。
犬童監督は正攻法シネマ作法でもって、ワイドスクリーンに戦国絵巻を再現している。

本作のキーワードである、「500人の城を攻める2万人の豊臣軍勢」が
映像ではこれしかないぐらいの徹底度でモンタージュされる。
侍、兵士一人ひとりの衣装、メイク、演技も執拗にていねいだった。
400年以上前の時代劇にリアリティを再現することが狂気であるとしても、
本シネマにはリアリティを感じさせる切り札があった。

それは野村萬斎の起用、「のぼう様」こと成田長親のリアリティだった。
なぜ百姓たちには「のぼう様」を信頼し、命まで預けられるのか?
なぜ敵の兵士、石田光成すらも、彼の大胆な挑発を受け入れたのだろうか?
そして、なぜ「のぼう様」は2万の軍勢に500の手勢で勝てると思いついたのか?
実はここが史実としても不可解であり、
本シネマ原作小説においても説明困難なところである。

人はどんなリーダーを信頼し、人生を託すのか?
しかし、
野村萬斎を起用したとき、シネマの「のぼう様」はその血と肉を手に入れた。
一見「のぼう様」こそ一番カリカチュアされた演技が肝要だと思ってしまうが、
その裏に秘められた思慮の塊を表現するのは至難だ。
のぼう様の周りの登場人物は、逆に「一言寸評」のような演技に終始していた、
石田光成、大谷吉継、関白秀吉、成田家重臣たち然り。
そして剽軽な動作の裏に「知」と「慈しみ」の心を表現できる
「萬斎のぼう様」がそこに息づいていた。

戦国時代末期の侍の戦い方、
世の中を統一するための知慮、カリスマ性、
だれのために政をするのか?
今の日本、世界にも通じる智恵がそこにあった。
きめ細かくて、配慮の行き届いたいいシネマだった。

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