セッション (2014)

文字数 725文字

【音楽も戦い、この世は戦い抜くだけ】 2015/4/20



音楽教師と生徒の、まさに「戦い」が全編を貫いている。
この教師と生徒は二人ともに、一筋縄ではいかない、いい根性の持ち主である。
普通の社会においてであれば間違いなく変人、奇人として
付き合いを避けたい類いの人間だ、
少なくとも僕は好きにはなれそうもない。

この教師、生徒のためJAZZ界のためという大義名分を振りかざして、
やりたい放題のパワハラ三昧だ。
なんと言い訳しようと、教師の枠を超えて、教師はこのパワハラを愉しんでいた。
それにしても 軍隊ストーリー「フルメタルジャケット」、「愛と青春の旅だち」などで
培われた鬼教官伝説が音楽業界でも再現されるのは、
もしかしてアメリカ人のお好みパターンだからだろうか?

一方、本シネマの生徒は教師以上に難物だ。
物語の展開につれて、「よくよく、嫌味な奴よ!」と思わせる所業を積み重ねてくれる。
そのベースにあるのは 「自分が最高、邪魔するものは容赦なく排除する」というエゴイズム。

JAZZの世界がすべてこんな人たちばかりで成立しているとは思わないが、
観ているうちにちょっとだけ信じてしまいそうなくらい、
変な人たちの衝突が最終まで延々と描かれていく。

定理:JAZZ業界では普通の人は成功しない(?)
もっとも、ほかの分野を見まわしてみても、
「好い人」や「立派な人」が成功していることは稀であることも思い出さないと、
本シネマには不公平になる。
「変な人々」が頂点を極めるものなのだ。

本シネマの功績は映像でJAZZを表現してしまったことである、これは一見の価値あり。

老婆心:
チャーリー・パーカーが「バード」と呼ばれた由来に関して、新しい説を知ることができたのは、オマケの収穫だった。

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