アラモ (2004) 

文字数 1,513文字

【意図的愛国心鼓舞】 2007/9/30



ジョン・ウェインの《アラモ》から44年後のリメイクが本作。

誰もが忘れかけていたテキサスの歴史問題が脚光を浴び、
再び思い出される必要が生じた。
なぜなら、
アメリカ28番目の州となったテキサスは尊いテキサス人の血によって獲得されたものであり、
だからこそ、アメリカは何ものにも脅かされてはいけない祖国である・・・
「リメンバーアラモ」なのだ。
2001年9月11日以降、雨後の竹の子のように製作された、
「レイズ・ザ・フラッグ」シネマと揶揄されても致し方ないところか?

それにしても なのか? それだからこそ なのか?
贅沢な創りのシネマに仕上がっている。
おかげで近年新作にお目にかかれない西部劇ファンには堪えられないありがたさだ。
アラモ砦を屋外に復元し、砦の内部まで細密に作りこんだ大掛かりなセットが、
まさに「太っ腹」の象徴。
アラモを死守する志願兵たち、民間人の服装ひとつにもこだわっている、
時代考証も完璧に違いない。
一方、かたき役メキシコ軍はナポレオンを自称するサンタ・アナ将軍はじめ
将兵のユニフォームが煌びやか、
7000人の大群だからその数も半端ではない。
本シネマをしてコスチューム時代劇と称しても少しもおかしくない。

俳優たちも、別の意味で贅沢だ。
アラモといえばデイビィ・クロケット、
この歴史的アイドルにはビリー・ボブ・ソーントン。
クロケットの相方と決まっているジム・ボーイにはジェイソン・パトリック。
西部劇本流中の本流であるアラモエピソードに、
この二人を並べる勇気と贅沢に当初驚いたものだ。

しかしながら、人々の関心はもう西部には向いていなかったようだ。
すくなくとも日本では人気の無かったこと此の上なし。
初日から「プレミアスクリーン/通常料金」で公開していた記憶がある。
(トーホーシネコンを知らない方へ:つまり客の入りが少ないということ)

さて、ここからは、
連続して《アラモ》2作を鑑賞した感想をあげておきたい。

●アラモの歴史的事実は変えられるものではないとして、
旧作は伝統的西部劇様式美に則って作られ、僕もそのつもりで観ていた。
まさに歌舞伎を見るがごとくといえるだろう。

●本作は様式美の旧作を覆すように事実が露呈されていく・・・
司令官の破産と離婚、ジムの結核、クロケットの俗物的天才
・・・いまどきの情報開示さながら、密かなお楽しみとなってはいる。
圧巻は、クロケットは戦死ではなく捕虜として処刑される
・・・うーんなかなか渋い。

●44年間のシネマの発展のひとつが、特殊効果。
「プライベート・ライアン」以前以後では殺戮シーンが大きく変化したのは周知のこと、
44年前の旧作と戦闘シーンを比較して、何をかいわんや!
逆に観客が残酷シーンに慣れ、より強い刺激を求めているのも事実だ。
本作でも目を覆いたくなるシーンが続出するが、
戦争の実態を理解するには様式美だけでは到底無理だ。

●旧作が「男たちのプライド」をテーマにしたのに対し、
本作は「意図的愛国心鼓舞」が顕かに突出している。
旧作にはなかったサンタ・アナ軍、
リベンジ壊滅シーンに聞く「リメンバーアラモ」の叫びに鼻白むほどだ。

●本作品で感じる違和感:
結局メキシコ軍兵士の方が大勢死んでいったが、
命に重さがあるのか、これで同等だというのか?
これらメキシコ軍兵士もサンタ・アナ独裁の犠牲者だとすれば、多くの死に心は痛まないか?
独裁者の命と引き換えにテキサス州を獲得することに、倫理的問題は無いのか?
  
いろいろな疑問符がつくのも、その生い立ち故としたい。
シネマとしての完成度は高い。
なんといっても実写主体の戦闘シーンには迫りくる恐怖なくして対峙できない、
名作の証明だ。
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