ゼロ・ダーク・サーティ (2012)

文字数 1,185文字

【やるせない戦場の変質性】 2013/2/17



またまた、キャスリン・ビグロー監督に取り込まれてしまう。
「ハートをロッカーにしまいこんだ兵士」から
今回は「ハートをむき出しにするCIA職人」を描いているが、
共通するのは【戦場における変質性】。
しかも、今回の作品では、
ウサーマ・ビン・ラーディン殺害というショッキングな素材に手を染める。

僕が大きな期待の中で懸念していたのは、
パキスタン国内で軍事行動、女性・子供も含めた民家への攻撃、
そして拘束ではなく射殺という事実をシネマというフィクションに
どのように置き換えるのかということだった。

名作「ハートロッカー」からは世界の警察としての米国をメタファーする、
ある意味の反戦メッセージを受け取ったが、
さて今回はどうだったか?

ビグロー監督が好きなんだろう【俯瞰】、【望遠】シーンのなかで
テロが延々と描かれ、そのたびに主人公女性分析官マヤが憔悴していく。
俯瞰・望遠以上に不気味なオープニングでは9.11世界貿易センタービル崩壊の際の、
犠牲者最後の会話(電話)が流れる・・・真っ暗なスクリーンの中で。
マヤの周りに映し出される光景は、ノンフィクションのような世界だ。
CIAの拷問・偽り、CIA友人の疲弊そして犠牲、
マヤ本人へのテロ行為、官僚組織の優柔不断。
僕らは襲撃事件の結末だけは知っているが、
決断に至るまでの米国側の経緯らしきものを本シネマで得ることになる。

マヤの執念と影響力を阻むのは政治と官僚・・・このシークエンスはとても興味深かった。
●CIA高官の意見聴取の後、口の悪い長官が漏らす言葉もリアルだった
 ・・・「臆病どもめが」。
●その長官は職員食堂に出向いてマヤを激励する、
 マヤの功績は政治的判断にすべては委ねられたことを示唆する。
●オバマ大統領府がイラク生物兵器()情報を引き合いに出す
 ・・・「あのときですら写真があった」、  笑っていいシーンだったが笑えなかった。
●そんなホワイトハウスをマヤの仲間が脅迫する、
 「ビン・ラーディンを殺す機会を捨てたという汚名も選択肢です」・・・と。
●襲撃作戦を担当する海軍シールズ隊員はマヤの確信を疑うことが無かった、
 現場力のなせる業だった。

襲撃シーンもビグロー監督らしくリアルに仕上がっている。
ステルス機能のブラックホークヘリ、そのヘリの墜落、暗視ゴーグルから見たシールズの動き、
進入爆破作業、銃撃戦、近隣の住宅への監視威嚇・・・などなど。
約3時間のほぼ大半を分析官の目から見たビン・ラーディン探しとCIA内部の苦悩に費やした後の、
この襲撃作戦は見事なカタルシスになる。
確かにそれはアメリカを代表とする非イスラム世界の感覚であることには間違いない。

一方では、延々と丁寧に説明された上での、暴挙への合理化だったのか。
ラストシーンに観るマヤの頬を流れ落ちる涙、
僕も「やるせない」想いになってくる。

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