シャイニング (1980)

文字数 1,185文字

【恐怖の本質に到達】 1981/1/19



何を今更巨匠キューブリックが、オカルト趣味の超能力恐怖シネマなのか?
という疑問と同時におおいなる興味もありました。
その結果は、これまた極めて世俗的ですが、
さすがキューブリックなんだな~という印象を受けました。

ここ数年続いている恐怖シネマブームのレベルと同一視してはいけない
キューブリックスタイルを画面から感じ取ることができれば
今回の彼の意図も理解できます。
キューブリックが観客に提示した恐怖は、
そこいらにある感覚的、物理的、そしてテクニカルな恐怖などではありませんでした。
実際,息が止まりそうになり、表現しがたい恐怖を感じました。
座席の上で体を硬直させ溜めた息をフーっと吐き出す経験は
成人になっては初めてかもしれません。
これほどまでに恐怖の完成度を高めたのは、
キューブリックの完全主義、やはりそこに尽きるようです。

テクニックとして血がふんだんに流れ、気味の悪い死体も見てしまいますが、
それらは決してあの恐怖の引き金ではないと観客には分かるのです。
本シネマは、人間が感じるであろう恐怖の根源を
映像の結集として漂わせることに終始しています。
少年がおもちゃの車でホテルの中を走るシーンの怖さは、耐え難いものでした。
あれほどのローアングル、ワイドレンズの異様さを認識したことはありません。
ジャックが1920年にタイムスリップしていくシーン、
彼の原稿を妻が手に取り見つめるシーン、
それぞれの恐怖は異質でありながら、
得体の知れない、感性が拒否できない恐怖でした。
頭脳ではなく体の芯で感じる説明のできない恐怖
・・・言ってみれば人類誕生以来我々が業として有してきた恐怖が呼び起こされたようで、
一瞬気が遠くなるような感情になりました。

これを、キューブリックの哲学的シネマ作法などと称するのかも知れませんが、
今回も見事に潜在意識を刺激されてしまいました。
などと、抽象的な印象ばかり述べてしまうと、
まるで《2001年オデッセイ》と同じ類のシネマのように思われそうですが、
ストーリーそのものは、ある程度理解可能な内容でした。
思うに、ジャックは超能力一族SHININGの系統なのですが
本人はそれを自覚していないために発狂してしまったのでしょう。
おそらくSHININGには善と悪、
二つの選択があり、善系が息子に生じたための、
一族の生存争いの顛末こそ、本シネマの骨子だと・・・ではないかと考えたりしました。

《2001年・・・》に続いて多元的解釈可能なストーリーでしたが、
これもシネマの大きな愉しみに違いありません。
キューブリックは、本シネマで恐怖の純粋培養を試みました。
「どうだい、私が創ったら恐怖シネマもこんな具合になるんだぜ!」
という呟きが聞こえてきそうでした。

何事も本質に迫ることは、恐怖といえますが、
恐怖の本質に到達するのを一体どう表現すれば・・・??

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