J・エドガー (2011)

文字数 1,055文字

【クリントの観客第一主義、今回もぶれず】 2012/1/28



良いシネマだった。
いまさらながらのFBIフーバー長官ストーリーなのに、
シネマ製作に底流する高邁な思想に触れることができた。
しかしである、いわゆる【娯楽性】にはまるで配慮されていない。
とうとうやちゃったのか、クリント?

クリントのシネマ製作コンセプトは「観客優先」だったはずだ。
この信条はドラッカーの「マネジメント」に通じる現場主義の秀説であると常々信奉してきた。
曰く、観客を愚弄しない、観客は賢い、観客の目線でカメラを動かす・・・などなど。

いやクリントは今回もぶれてはいなかった。
今作においてクリントは顧客主義を敢えて変更したとしか思えない。
そのキーワードは前述の「娯楽性」。
「一般的な娯楽性」をクリントに期待する顧客は今回は戸惑うはずだ。
フーバー長官ひとりの人生が延々とスクリーンに映し出される。
「リンドバーク事件」が回想シーンの中で多く取り上げられてはいるが
メインストリームは「フーバー長官」の生き様だ。
僕はといえば「娯楽性」を全編に感じ見て、愉しんだ。

その娯楽性とは
「ひとりの権力者が自分の使命と信じて権力を行使し、その結果権力を貶める」
人生の矛盾であった。
それは「絶対権力は絶対に腐敗する」などという上品な定義では言い尽くすことのできない、
人間臭さに窒息しそうなJ・エドガーの一生である。

クリントは名優デカプリオを擁してきわどいシネマ製作に挑んだのだろう。
いつものように俳優に全幅の信頼を捧げて、デカプリオ最高の演技を引き出していた。
WBもこの名優が興行のセーフティネットになろうと期待していた、
ましてや巨匠クリントの製作、監督だし。
この点から見ても、顧客第一の信条は名優デカプリオ一点に絞られていた。
どうぞデカプリオを観に来てください・・・というわけだ。

クリントが描きたかったのはFBIを創ったJ・エドガーの功績であり、
決して腐敗や倫理的欠如など彼のダークサイドではなかった。
ヒト科の我々はまだ100年以上生きる生物に進化していないわけで、
多くのホモサピエンスはかなりの若年で人生の功績を取りまとめなければいけない。
運よく80歳近くまで権力を維持した人間は、その意味ですでに成功者といえる。

クリント・イーストウッド もうすぐ82歳、
本シネマは決して老害シネマではなく
「ヒーローにしか感じることができないヒーローへの賛歌」だった。

老婆心:
デカプリオは間違いなく名優である。
アカデミー賞など関係ないよ、
僕は貴方の完璧さを今回痛感した、
ブラボー!!

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