ドライブ・マイ・カー (2021)

文字数 853文字

【村上主義を貫く】2021/8/24



村上主義者たるもの、村上春樹原作シネマを無視することができるわけもなし。しかしながら 村上春樹原作シネマが常に村上主義を全うすることでもない、
そんな当たり前のことも重々承知している、一方ではシネマファンでもある。
原作とシネマの間には越えがたい山があり、埋めることができない谷が横たわっていることを知るからに、そのギャップに言及する愚は避けることぐらいはできると自負している。
過去の村上原作シネマで、その意味から僕なりに評価できたのは、「トニー滝田」、「ハナレイ・ベイ」だった、前者は映像の効果、後者はロケーション撮影に裏付けられていた、無論異論はあろうが・・・。
今作では濱口監督の脚本に期待して拝見することにした。
海外映画祭での受賞という直前の追い風情報もさることながら、原作内容がどうしてもシネマには適しているとは思えなかったからである。
ここで先ほどの【山あり、谷あり】の続きになる。
シネマは原作を大きく膨らませることによって、女のいない寂しい一人の男の裡を語るだけではなく、普遍的なテーマになる仕組みが至る所に施されている。
小説のキーになる言葉を発する専属ドライバー女性に、ぐんぐん迫っていく、その過去にその故郷に。
広島国際演劇祭という大掛かりな添加物の中に亡き妻の愛人をはめ込んだのが本シネマの最大の効果だった、そこで準備される演劇そのものがシネマの興味深いエピソードになりながら、結局は大きく曲がって戻ってくるブーメランのように短編小説の的を見事に打ち抜いてくれた。
「生きることの意味、生きることの大切さ」を諄々と丁寧に解き明かし村上主義普及に貢献してくれた。
加えて、国際演劇祭で見せつけた人種や障害を越えた協力姿勢は言うまでもなく村上主義の原点でもある、僕は大きく感謝していた。
だから、長丁場のシネマになってしまったのは仕方のないこと、
ただし、エンディングシーンは僕の理解を超えた展開になっていた、
できればこの結末を村上春樹さんに書き足していただきたいものだ。
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