ゴールデンスランバー (2009)

文字数 1,165文字

【バイプレイヤーの虫干し棚卸】 2010/2/14



原作シネマとしては格段の出来具合だと思った、
良いという意味である。
シネマ原点である娯楽性に徹していて決して退屈しない。
それでいて、権力の恐怖をカリカチュアしながらも、
その悪に一矢を報いるカタルシスも観客にちゃんと用意されていた。

で、気になって中村監督の実績をいまさらながら振り返ってみた。
なるほどである・・・・、僕のお気に入りの原作シネマがずらり。
伊坂本では《アヒルと鴨のコインロッカー》、
海堂本でも《チームバチスタの栄光》、《ジェネラルルージュの凱旋》がそうだった。
なるほどであった・・・ベストセラー原作映像化に殊にお得意の様子だ。

脚色段階での大胆な映像表現、言葉を替えれば文節を動画に紡ぎかえる創造力が並外れていた。
伊坂本に詰め込まれたアイデアもしくは海堂本に込められたメッセージは、
どちらかというと映像化の対象としては難物であるにもかかわらず
僕には易しく伝わってきたものだった。

この映像に置き換えることがそもそもシネマクリエイターの力量なのであるが
最近は忘れ去られたまま、「これぞシネマ完成品です」と提供されることが多い。
当たり前のことが粛々とおこなわれないときは碌なことが起こらない。
最近の日本シネマがTVドラマの焼き直しとか
アイドルタレントたちのノルマ消化に消耗されているのは、
この当たり前のことが極めて希少だからに他ならない。
そんな現状に鬱々となりながら、
ときたま安堵の息を呼吸したのが先に挙げたシネマと出逢ったときだった。

今作でもまた映像脚色が膨張していて、文節表現でしかない恐怖は
いやがおうエスカレートされている。
主人公は最初から最後まで逃げて逃げて、そう・・・無様に逃げまくる。
僕らはヒーローなんかになれない・・・だから悪から逃げる。
逃げる方法と孤立するはずの主人公を助ける
無力(であるはず)の人たちがどっさりと描かれる。
この整理整頓はちょっとしたノウハウものである。
過去とフラッシュバックしてゴールデンスランバーのよき時代を懐かしむのが「緩」とすれば、
罠にかかった主人公をリアルタイムに信じて救いの手を差し伸べる心優しき人たちのエピソードは「急」。
この緩急の按排は絶妙で流れの中で自然に溶け込まされていた。

もうひとつ忘れられないのはキャスティングだった。
スターを配しなかった代わりに(竹内さんごめんなさい)個性派をずらり並べていた。
それも彼ら個性派がいちばん得意ではなかろうかと想定できるキャスティングがずらり。
香川照之のエリート警官、伊藤四郎のオヤジなどに始まり枚挙に遑がない。
僕はこのバイプレイヤーオールスターキャスティングを実はいちばん堪能していた。
まるでバイプレイヤーの虫干し棚卸しを嬉々として時間外残業した気分だった。

得した気分のシネマも久しかった。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み