シン・ウルトラマン (2022)

文字数 1,141文字

【宇宙にとって人類は必要か?】 2022/5/20



「シン・ゴジラ(2016)」が甚く痛快だった記憶があったので、同じ冠をつけた本作に興味津々だったのではあるが、どうもシネコンに出向く決意がつかないまま一週間を過ごしてしまった。
その理由にも尤もなところがある、ゴジラは東宝製作シネマ、しかるにウルトラマンはTBSテレビドラマ(1966~1967)という出自だ。
どちらも荒唐無稽な怪獣ものとも思っていない、ゴジラの背景には原子力への複雑な日本人の想いがあり、
中学生の僕の日曜日のお愉しみだったウルトラマンは僕のヒーローだったことを忘れることができない。
しかしながら、TVドラマの劇場版(ザ・ムーヴィーとも)には強い偏見を持っている骨太シネマファンとしての立場から、過去からの亡霊のような「シン・ウルトラマン」は疑惑横溢でしかなかった一方で、前述のとおり「シン」の覚醒効果も確かめてみたいと悩んだ一週間だった。
さて、ではどうだったか?

予告編は、今思えばTVドラマを見事に装ったもので、敢えて「シン」の要素を一切隠していたことが本編を拝見した後に分かった。
まことに慎み深いというか欲の無いというか、はたまた唯我独尊の傲岸な映画人の根性に敬服すらした。
まずは、 2時間でウルトラマンと人類(日本人と言ってもいい)との美しい宇宙人関係が語り起されて完結する、このスピード展開に感服した。
もし、「シン・シン・ウルトラマン」が製作されたら僕の浅知恵をお詫びするが、本作のこの潔さがシネマの格調を高めた。
地球に来た理由、ほかの知的宇宙人たちの侵略作戦を阻止する心情、死を賭して地球を守る想い、ウルトラマンのすべてがシネマサイズに凝縮され昇華されていた。
長澤さんの特別どアップ、西島さんの仏頂面など予告編では隠されたお愉しみにも出会って僕はハッピーになる。
「シン・ゴジラ」で徹底的に国家安全保障の脆弱さをおちょくったその返す刀で、「シン・ウルトラマン」では意外にも世界の大国を出し抜こうとする日本に仕掛けられた罠、日本の焦燥感があぶり出される、ここが「シン」シリーズの痛快なところだ。
固いお約束である怪獣とウルトラマンの格闘もきちんと設定されているうえに、宇宙の知性生物侵攻と未成熟な人類という図式まで取り込む欲深さは少々息切れ気味ではあったが、現実の地球環境汚染、資源枯渇、国家戦争暴力を思い出すまでもなく、果たして人類は宇宙にとって必要な存在なのか? ・・・という問いが投げかけられる。
アーサー・C・クラーク「幼年期の終わり(1952年)」、劉慈欣「三体 三部作(2006年~2010年)」の繊細・壮大を望むべくもないが、
TVドラマから「シン」に進化したウルトラマン、僕は愛おしくて仕方がなかった。
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