GO (2001)

文字数 1,104文字

【シネマ作法小説が、スクリーンに花開いて】 2007/8/7



原作を読んでから・・・・と思いながらも年月のたつのが速いこと。
ようやくその宿題を果たし(新装完全版?)、本編を観させてもらいました。
ところで、
僕は小説とシネマは別物と信じる立場、優劣はナンセンスだと思ってます。
だからこそ話題原作は先に読むことを常日ごろから実行しています、可能な範囲だけどね。
シネマが云われなき不当な評価を受けるケースに際し、平等に判断するための準備なのです。
この不当な評価には二通りパータンがあります:

①もともと、たいした内容でもない原作(ベストセラーに多い)をシネマ化した際には、
感情的アレンジ批判、もしくは、そのまんま駄作の二律背反に陥ります。

②秀でた原作理念が映像的昇華した代償として、原作の痕跡が消失することがあり、
このときは原作ファンから厳しくも内政干渉的非難を蒙ります。

やっぱりシネマ製作って大変そうだな。

さてさて、
《 GO 》の原作、予断した悲惨さも感じず面白く読了できました。
「僕(主人公)の恋愛物語」と最初宣言しながらも、
「日本式差別」が知的興味裏づけになっていました。
知的興味といえば、
主人公の探求姿勢(落語、ミトコンドリア、シェイクスピア)、
父の哲学(マルクスからニーチェ!)、
母のアイロニー(寒いと鼻が凍って思想も凍る)など
主人公家族ひとつをとってもおいしそうなシネマエッセンスがびっしり詰まってます。
当然、全編に流れる差別エピソードのバリエーションとインパクトは、
数知れず計り知れず・・・。
原作( GO )は望みうるシネマ化最適の小説だと確信したほどでした。

そしてシネマになって、
シネマに変換するには、あと脚本の妙が少し加えれられるだけでよかったはずでしたが、
宮藤さんの英知が贅沢にもたっぷりと注がれています。
原作のエッセンスはほぼ取りこぼしなく掬い取られ、再配置され、輝きを増していました。
原作とシネマの谷間がこれほどにも浅い、いや谷間すら感じられないのも珍しいことです。
肝心の主人公の恋愛物語はというと、
クルパー(窪塚洋介)の桜井(柴咲コウ)への態度は常に対等で真剣でした。
桜井はエキセントリックに奔らず情熱さえ抑制していました。
シネマ底流概念(差別)への対比としての
《ふたりのカジュアル》をさわやかに醸しだしていました。

最後のガールフレンド謎解き告白にいたっても、
「背筋がゾクゾクしたの・・・」に
留め置かれた《カジュアルさ》。
シネマならではの品格だったと思います。
監督の女性への尊敬、あくまでも純愛に徹した清らかさに納得した想いです。
シネマを愛する作者渾身のシネマ作法小説が、
スクリーンに花開いていました・・・見事に。
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