ハンター (1980)

文字数 1,455文字

【マックィーンの笑顔】 1981/6/29



凄まじい。
といっても、シネマの内容ではなく
スティーブ・マックィーンの生き様に対しての感想である。
本シネマが彼の遺作であるとの予備知識はあったものの、
自身の死を予期しながらアクション作品を撮るマックィーンの気持ちに
ついていけるか不安だった。
僕のシネマ狂いは彼の《大脱走》で軌道に乗ったといえるぐらい、
マックィーンは我シネマ鑑賞史に大きな影響を与えてきた。

演技派でもなく、美形でもなく、どちらかというと小柄な体型なのに
不思議と僕をひきつけたし、
なんと言っても彼が出演したシネマは理屈抜きで面白かった。
こんなタイプの役者、いそうで案外いない。
そして、マックィーンはほんとにいなくなった。
遺作が《ハンター》などというアクション作品であったことは意味深い。

話はそれるが本作を観ていると、
どうしてもデュークの《ラスト・シューティスト》を思い出してしまう。
デュークは《ラスト・・・》で自分の人生そのものをさらけ出して見せた。
時代に背を向けた老ガンマンの姿は確かに悲しかったが、
そこにデュークの永遠の役者魂を見た思いもあり、
彼の生き方にうらやましさすら覚えた。
実際、かのシネマはデュークの死の3年前に撮られたため、
スクリーンに死の影はうかがえなかった。

だからこそ、このシネマは悲しい。
マックィーンのやつれ具合は、はっきりと画面に現れている。
反対に作品全体の雰囲気は、あくまでも明るく、からっとしていて、
まさに西海岸の青い空そのものだ。
マックィーンの役どころは、現代に生きる初老の賞金稼ぎ、
体力の衰えを自覚するも、まだまだタフな一匹狼である。
もうすぐ子供が生まれる若き女性との結婚を考え、
そのためにももう一稼ぎしたいという、なかなか味のある設定である。
死を間近に控えたマックィーンに、この役は何を意味するのだろうか? 
・・・・そんなことが頭によぎる。

人狩りはしていても人に対する愛情と尊敬を忘れない男、
不器用で世間一般のことは不慣れだが飾り気のない気持ちのさっぱりとした男が
賞金稼ぎのラルフ・ソーソン。、
パパと呼ばれるこの男こそマックィーン、スクリーン上の集大成になった。
タイトルと違って人が殺されるシーンは一度だけだし、
なによりマックィーンは狩の対象を殺すことはない。

シカゴでの大追跡以外、追跡者としての彼はどこかユーモラスでさえある。
トランザム7000をもてあます運転下手だったり、
自宅のベッドにもぐりこもうとしたらお腹の大きな恋人が
寝ていたり・・・・とこの辺り《ブリット》のパロディも散りばめられている。

ラストシーンは圧巻だ。
陣痛の始まった恋人を病院に運ぶ途中、
一生懸命に息を噴出しながら恋人を励ますマックィーン、
(これには無痛分娩教室に出席したがらなかったという伏線が笑いを誘うのだが)。
病院の受付で気を失うマックィーン。わが子を胸に抱いて、
あの・・・そう、あのマックィーン笑いをする。

親子のアップでストップモーションになるラストは、やはり悲しい。
新しい生命との出会いが遺作のラストシーン!
これは皮肉や冗談ではなく、
新しい世代を期待と愛情を持って見つめるマックィーンのメッセージなのだろう。

こんなに、感傷的になってはいけない。
本シネマはよく構成されたアクションストーリーである。
各エピソードが無駄なく配置され、
なんと言ってもマックィーンのとぼけた味わい、アクションセンスを最大に活用している。
脇もピッシリ固められており、近年にない小気味よさが感じられる。
それだけに、また悲しい。



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