アヒルと鴨のコインロッカー (2006)

文字数 998文字

【無垢の預言者は去り行く】 2008/2/18



シネマって、やっぱりたいしたものなんだね。
いくらシネマ好きの(と評判の高い・・)伊坂さん原作とはいえ、
叙述的トリックのカタルシスが落としどころの本ミステリーを映像にするのは、
かなりの知恵が要求されるのでは?・・・とおおいに懸念していた。
もっとも、本原作は叙述トリックとはいえ、
当分野巨匠、歌野晶午さんほどのこだわり度(マニアックとはいわないが)はない。

それにしても、フレキシビリティを上手く発揮・活用した優れた脚本だった。
その際たるところは、
謎解きをアッサリと前半で終了させている潔さだった。
正直に言えば、この程度のトリックで最後のクライマックスにまで引っ張られるのは苦痛だ。
「潔い」という以上に「賢い」転換だろうか。
ただし、その煽りを受けて後半はもう一度虚構から真実へもどる「繰り返し」のリスクを負うことになるのだが、
このリスクヘッジが「松田龍平」だったろうし、彼の起用は見事功奏していた。

後半は、ミステリーに付き物の謎解きパートとは趣を異にし、
男女3人の青春思い出編になっている。
この甘くて哀しくて切ない思い出ストーリーは、遠い昔観た「冒険者」を思い出してしまった。
・・・かなりスケールは小さいものの・・・。

そんなんだな、「ちっちゃい」。
あまりにも素材が矮小、若者らしい夢すらも小さすぎる
・・・しかしこれが日本の現実でもある。
この現実感に、ついふらふらと共感してしまいそうな自分がいた。
そういう意味では、極めて日本的私小説ミステリーを、
外連味なくこじんまりと映像化した正直さには好感を禁じえない。

それでも、ストーリーは間違いなくシネマ化されることでより強力になった。
実は、シネマでようやく気づいた重要なこともあった。
なにを隠そう、それは、狂言回し役の椎名君の存在意義だった。
当然、シネマを観る側を代弁する立場で叙述トリックに絡め取られる大切な存在ではある。
それ以上に重要だったのは彼がボブ・ディランを歌いながら本屋の裏口を見張ること。
何故彼が必要だったのかが、映像化されてみて「痛いほど」わかった。

「風に吹かれて」がシネマの聖書(キーワード)だとするなら、
椎名の存在は、神(ボブ・ディラン)の啓示を携えた預言者のようだった。

無垢の預言者は自分の使命を知ったとき静かに去るのみ。
新幹線に向かう椎名の後姿に神秘を感じた。
やはりこのシネマ、脚本勝ちだ。

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