エルヴィス   (2022) 

文字数 1,127文字

【分断・差別に抗うソウル】 2022/7/1



エルヴィス・プレスリー(EP)没後45年目、なぜ今EPの一生がシネマになるのか?
という疑問もちらりと胸の片隅にあったが、大好きなEP 物語を見逃すわけにはいかない、いつものように予断を一切体に纏うことなく拝見した。

EPファンとはいっても、ロックンロールをリアルに体感するには幼すぎたし、基本的にディープなシネマファンだから、EPを意識したのは当然ながらシネマだった。
「GIブルース(1960)」に始まり「ブルーハワイ(1961)」、「ラウヴェガス万歳(1964)」までの5年間は田舎町の映画館に通い詰めた。
EPのことは歌う映画スターだと思っていた。それはまんざら間違いではなかった・・・・。

EPの生涯を一気に駆け足で巡る本シネマで、僕はようやくEPについて欠けていた事実を補うことができた。
EPは本当は映画スターになりたかった、ジェームス・ディーンのような演技派を目標にしていた。
EPは基本的にライブ、ツアーの歌手だった、それもマイナーなソウル・ブルースの黒人音楽を白人が歌い上げる意外性とセックスアピールが売りだった。
黒人ミュージックは彼の原点であり、単なるキワモノや模倣ではなく、小さいころから黒人社会に接した涵養の結果だった。
EPの歌が体制側にとって、特に人種隔離政策推進派にとっては危険極まりなかった。
しかしEPは決して屈することなく我が魂を歌に込めた・・・どうしようもない人生にできることは「SING」という黒人の想いはEPに根付いていた。
前述の「GIヴルース(1960)」は徴兵に応じたEPの従順さを誇示したが、本シネマでは保守陣営からの圧力で服役か徴兵かの選択に追い込まれるEP、徴兵トラブルに起因する母の死、そこから始まる精神の崩壊が示唆される。

EPはキング牧師、ロバートケネディ暗殺に深く傷つくものの、歌をプロテストの道具にすることは決してなかった、そこに本シネマのもう一人の影の主役がいた、トム・ハンクス演じるEPのマネージャー(パーカー大佐)がEPを操る後半パートは、壮絶だった。
切望した日本公演はじめ海外公演はパーカー大佐に阻止される、その理由はすべてパーカー大佐の懐具合のため。
最愛の妻と離婚し、薬物に依存し命を縮めたEP、42歳の人生は短すぎる、今生きていれば87歳のロックンローラーだったかもしれない?
そして、今EPを遠い記憶から引きずり出そうとするアメリカの意図とは何か?
神から与えられたギフトを全世界に配ってくれたEP、その原点は人種や富による差別、分断に抗うソウルだった。
今また深刻な分断の危機を目の前にしているアメリカ、
でも、もうEPのようなスーパースターは出てはこない。
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