大列車強盗 (1978)

文字数 880文字

【クライトンシネマの到達点】 1980/3/27



マイケル・クライトン原作、脚色、監督というわけで、
言わずもがなクライトン風に仕上がっている。
彼が嬉々として映画制作にいそしんでいる様子が眼に浮かぶようである。
クライトンのような天才と称せられる逸材が何らかの形で
シネマに手を染めているのが近年目に付く。
これはシネマが有する総合芸術特性が才能をひきつけるのだろう、
そうであって欲しいし、もっともっと異才がシネマを撮ってもいいんじゃないかと考える。
実際、クライトンは厳しい評価を受けながらも、
才能中心型、個人作品的色彩の強い独自のスタイルを確立してしまった。

具体的にいえば、彼の作品にはミステリー、SF作家としてのプロットの面白さを
いかに映像化するかが貫かれている。
その裏には、彼の原作が他の映画作家によって全く異質のものに仕上がることへの
反抗がうかがえる。
感覚的小説家である以前に医学博士でもあるクライトンの知的抵抗は充分理解できるが、
一方では映像作家としての資質面での不安も、これまで常に並存していた。

ただし、今回の《大列車強盗》においてはこれらの懸念は見事に解消されている。
彼らしい映像というより、シネマ本来の映像の楽しさをクライトン流にアレンジしている。
例えば、作品の見せ場にもなっている、列車のルーフにへばりつく
主人公(ショーン・コネリー)がトンネルに激突しそうになる緊迫感は
真っ向勝負ゆえに強烈で、かつ意外と新鮮であった。

《大列車強盗》という映画史初の劇映画のタイトルをあえて採用した点を加味し考慮すると
クライトンの意図するところが見えてくる。
列車強盗の準備段階となる前半で描かれる19世紀末のロンドンの風景がお洒落である、
とてもクライトンタッチとは思えない。
この街並みに溶け込むショーン・コネリーとドナルド・サザーランド二人の会話からは
なにやら余裕すら漂ってくる。
古き良き時代の上流社会、下層社会を再現し、
大強盗の人物をもその時代の空気のなかに甦らせたのは、
クライトンの作家ではない異才、映像才能の方だった。
ここに、クライトンシネマひとつの到達点を見た。

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