海流のなかの島々 (1977)

文字数 760文字

【ビッグパパ C・スコット】 1979/3/15




圧巻は、ジョージ・C・スコットとクレア・ブルーム二人のやり取りである。
離婚した女が突然会いにきて、いろいろ話をしているうちに、
息子との楽しかった思い出話になる。
・・・・と、そこで急に彼に不吉な思いがよぎる。
「死んだんだな、私の息子は?」
この言葉にいたるまでのC・スコットの父親は圧巻だった。

このシネマは、失われし理想のアメリカンファーザー像への郷愁であり、
幸か不幸かC・スコットがアメリカ父権を代表してその重責をこなしてしまった。
なぜ不幸かもしれないかというと、
三人の息子には理解ある愛すべき父親でありながら、自己の信念により、
子供たちとは一緒に生活をしないという主人公は、
所詮 理想環境でしか生息できない変り種だから。
現在のニューヨーク、ロスアンジェルスでは考えられない。

「老人と海」ジュニア版はうれしい限りだが、
今に生きる我々にとって、古きよき時代の父親像が持つ意味とは如何に?
複雑なのは、
狙っていたのか、C・スコットの役はヘミングウェイ自身の投影であるとすれば、
ビッグアメリカンパパのヘミングウェイとC・スコット、
二者のダブルイメージに酔わされ、錯綜の極みに陥り、
日本人としてはまるで別世界を覗くようなものになった。

だが、素直な気持ちで考えてみると、
家庭における父親を演じる上でこのシネマほどすばらしいテキストはない。
家庭の日常に慣れきった観客にとっては、人を愛し、
特に自分の子供を愛することの重さを、このシネマで示され教えられる。

一緒に住むことが、父親の愛情とは関係ないこと、
子供たちの自我を認め、尊重することがエディプスコンプレックスを克服すること、
そして父の大事な役目は子供を愛する役を演じること。
ただし、それはオールド・アメリカン・ウェイなのかもしれないが。
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