東京タワー オカンとボクと、時々、オトン (2007)

文字数 648文字

【俳優がうまいのが基本ですね、シネマは】 2007/4/15



脚本のコンセプトは、ずばり「オカン」の死。

女一人の腕で「ボク」を大学にやったことが自慢の「オカン」、
綺麗だった「オカン」、
ぬか漬けが上手かった「オカン」、
「ボク」の友達を皆魅了してしまった「オカン」
・・・これらは、省略こそされてはいないが、すべては「オカンの死」の伏線になった。
まず脚本による刈り込み、集中が優れていた。

死は誰の死であってもつらいというのは綺麗事で、母親の死はそれは格別のものだ。
その母親の死を、執着という言葉ですら不足する徹底さと勇気で描ききった点を評価しないわけにはいかない。
いやみな言葉になればお許しいただきたいが、
観客すべてが母の子であるとすれば、本シネマのターゲットは限りなく無限に近い
・・・・意外と誰も気づかなかった、というかあまりに安易な発想であるための初歩的な盲点だった。
このイージーコンセプトに実効性をもたらしたのが樹木希林とオダギリジョー・・・・「オカン」と「ボク」だった。
病室で久しぶりに「オトン」に会う「オカン」、希林の顔が恋に輝いていた、何も演じてるとは思えない設定なのに!
「ボク」が母親を看取るシーン、死後遺書を読むシーンは、あまりに自分の経験に近すぎて恐怖すら感じた、涙などとんでもない!
そうそう「オトン」の小林薫も存在感のない役そのままを、存在感もって見せてくれた。
シネマのタイトルにもあるとおりのと「オカン」と「ボク」の熱演を観る作品である、そして時々「オトン」の枯れた味わいもどうぞ。
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