女が眠る時 (2016) 

文字数 630文字

【妄想が日本的曖昧さに負けた】 2016/2/27



ウェイン・ワン監督が名匠と呼ばれていることも、
ハビエル・マリアスの原作もついぞ知らなかった不明をさておいて、
本シネマはとても日本的だった。

忽那汐里さんの新鮮さに慄き、小山田サユリさの妖艶さんに魅了されたが、
曖昧なストーリー展開には振り回され打ちのめされた。

キューブリック名作「シャイニング」に代表されるように
作家の妄想と狂気を素材とした映像は心の奥底を逆なでされる戦慄がある。
なんといっても、作家は妄想と虚言の手練れだから。
本シネマで西島さんが演じる作家の妄想は、残念ながらそれほどダイナミックではなかった。
謎の男(ビートたけしさん)と若い女性の関係にしても
それほど妄想の極地というわけでもなく、妻の不可解な行動も可愛いものだった。
職業不明の飯塚(リリー・フランキーさん)の途切れることないおしゃべりに
唯一恐怖を感じた、
これぞ妄想の産物のようだった。

つまるところ、どこまでが妄想、夢、虚構であって、
どこからが現実なのかは最後まで判断できないまま放置される。
それはそれで僕は心地よかった。
あとは僕がその妄想を引き継げばいいだけだから。
しかしながら、日本的情緒に慮ったような曖昧さより、
もっと突き進んだ妄想を魅せてほしかった。

胸打つ映像が妄想を高めるはずだったのに・・・。
余韻と、親切の押し売りのような説明過小は異なるものだ。

老婆心:
海外市場マーケティングの結果、日本的曖昧さを尊重したのだと、
良いように解釈した。



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