真夏のオリオン (2009)

文字数 896文字

【おかげで、「眼下の敵」を観なおしました】 2010/4/3



懸念していたほど酷くない、
いやいや、それなりに楽しませてもらった。
そんなお楽しみを大きく集約すればふたつ、
福井晴敏氏の「飽くなき熱い戦士崇拝」と名作「眼下の敵」への回帰といえる。

今シネマでは福井氏は脚色を担っているが、
自作、デビュー《川の深さ》以来
《Twelve Y.O.》、《亡国のイージス》、《終戦のローレライ》、《6ステイン》、
《op. ローズダスト》に脈打つ戦士(自衛隊員と言い変えてもいい)への賛歌が
この「真夏のオリオン」でも健全だった。
今この国を守る戦士の存在意義を太平洋戦争にまで言及するロマンは
むやみに無視するものでもない。
今シネマにおいても執拗に回天特別攻撃隊員に
「生きて日本を再建しろ」と檄するシーンは印象的だ。
祖国を護る気概のどこに危ういところがあるか?・・・と問い続ける姿勢は正論であろう。
そこに一戦士の力では到底攻略できない世界の魑魅魍魎の壁があること、
それを併せ呑む姿勢も好ましい。
またまた頑張っているなという感想を持ててうれしい思いがした。

一方、
潜水艦 vs 駆逐艦の戦い、
それも艦長同士が知力を尽くし対決するストーリーとしてみると情けないほどに薄味だった。
敢えて名作「眼下の敵」と比較してみると;
艦長が描かれていないのが致命的、
米駆逐艦の艦長はなにやら「プライベートライアン」、「父親たちの星条旗」の
ヒーローたちを連想させはするものの, 人柄が浮き上がってこない。
対する帝国海軍潜水艦艦長は長期間戦務についていながら、
あまりに清潔で殺し合いの疲労すら感じられない。
結末は両シネマともご都合主義的ハッピーエンドではあるが、
両艦長がゲームマシンを操るがごとく海面の上下で対峙するだけの本シネマは
人間性の欠片すら感じられない。

福井自衛隊思想は嫌いではない。
それにしても、この表現手段は安直過ぎた。

潜水艦艦長が「交響楽団指揮者志望だった」などと言う
つまらない楽屋落ち的冗談にいたっては、
国家の名のもとに戦死したあまた若き戦士たちへの冒涜だ。

しかし、この安楽加減こそ現在の僕らの国家意識を象徴するものでもある。

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