未知との遭遇 (1977)

文字数 716文字

【不完全燃焼】 1978/3/25



本気で期待し、楽しみにしていたシネマだった。
こんなことは久しぶりだ。
テアトル東京の指定席は《八甲田山》以来。
期待が大きすぎたのか、作品自体に問題があったのか不満足な印象が強い。
なぜか不完全燃焼したという気持ちがする。

具体的にいうと、「宇宙人イコール善人」説の作品のテーマが気に食わない。
むろん、だからといって宇宙大戦争のような単純なスペ-スオペラを望んでいるわけではない。
宇宙人の圧倒的知力を、
盲目的に「善」または「愛」とみなすことに抵抗したい心の内があった。
それ以上に不安なのが、この宇宙の平和安息思想に感激する、
感激しないまでも疑いを持つことすらなく 無条件に受け入れてしまう観客の心持ちだった。

僕の希望は、もっともっと未知との遭遇に立ち臨むトラブルを描いて欲しかった。
まるでお告げを受けた殉教者のようにUFOに魅入られてしまう主人公たち、
どうも気に入らない。

しかし、公平に評価すると、
冒頭の砂嵐シーンからシャンデリア宇宙船登場までの、
緩急を心憎いばかりに制御したシークエンスは
スピルバーグの稀なる才能以外の何物でもない。

このシャンデリア、さすが実際に製作しただけの実体感を放っていたが、
片や善なる宇宙人の容姿は想像許容のなかで驚くこともなく、
まして感銘に震えることはなかった。

皮肉な観方ではなく、
人類は本シネマの宇宙人のような科学を超えた存在にいかに無力であり、
従順になれるかを証明してくれた。
主人公たちが宇宙船に連れ去られるのは、
人類の降伏そして継べきぐ新人類の胎動を象徴していた。

まるで死を宣告され、神仏にもすがることができない境遇になったようで、
恐ろしくもあり、気分は酷暗の極みだった。

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