スティーヴン・キングのデスペレーション (2006)

文字数 1,118文字

【キングのプライベートシネマ】 2007/10/18



ご丁寧にも邦題では「スティーブン・キングの」が冠についたとおり、
彼の原作・脚色・製作になるワンマンシネマ。
僕が一番嫌いな原作・脚本に加えての製作まで、そして監督もどうみてもキング御用達筋に思えるし。
そうなんだね、これはキングのプライベートシネマ以外の何ものでもない。

ただし、この原作は奇妙面妖の魅力にあふれた新大陸伝奇物語だったような記憶がある。
キングのスリラーファンタジー特有ともいえる現実感乏しい設定の上に、ベースに神と邪悪との戦いとくると、僕には参加することはできても、到底立ち入ることなどできそうもないと感じたものだった。
そう思いながらも、なにかかなり気がかりな物語だった。
ところで、
僕は、原作とシネマを比較することは、間違ったアプローチだと頑なに主張しつづけてきている。同じように原作者がシネマ製作に深く関わることも百害あって一利なし・・という立場だ。

しかし、
ここまでもキングが思い入れて作り上げた作品を、原則で切り捨てるわけにもいかない、僕はそのくらい優しい。「あるいはいい加減という名の柔軟性」・・・なのかも。
本作品はTV用に作られたと聞く・・・・
それにしては、この死体の数々血の多さはどう判断すべきか?
決して、お茶の間で寛いで見る映像とも思えない(TPO注意)。
ストーリーは、神のミッションに取り込まれ、邪悪に打ち克つべく選ばれた人間の恐怖と戦いを描いている。
・・・と一言で言ってしまうのは簡単だが、限りある時間制限のもとで、本来のテーマはいくぶん未消化だた。とはいえ、前半の有無を言わせない暴力の脅威は、怪優ロン・パールマンを得て戦慄の極みに達している。今まで認識していなかったが彼ほどの適役はない、
ハイウェイの途中で止められたくない保安官だ、キャー。

後半は神の意図で選ばれた人間が邪悪に反撃する、立ち向かう・・・ここは定番かも。
このシークエンスで、
遠い過去の罪の意識を糧に、神の意志を自ら体現し邪悪に立ち向かう熟年小説家にトム・スケリット、
長大な邪悪の歴史説明を「せりふ」で、普通は邪道だと思うが、きっちりカバーするのがチャールズ・ダーニング、
まさか、またお目にかかれるとも思わなかったおふたりの姿に、ただただ胸が熱くなった。

TV版だとすればもう少し時間をかけて描きこむこともできたのだと思うが、どうやらDVD版を意識した長さだった。キングならではの、逃げ場のないジワーとくる恐怖に至らない欲求不満を覚えたが、まぁ欲を言えばきりもない。

念のため、
ホラーはとっくの昔に封印した僕だけど、本作はキリスト教プロモーションシネマ。
強い宗教って頼りたくなるかもよ、アーメン。
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