存在のない子供たち (2018)  

文字数 673文字

【演技を超える子供たちの存在】 2019/7/22



レバノンの貧民街に生きる12歳(推定)少年の心からの訴え、
シネマができる高貴な役割を思い知る。
キーワードは 「自分を生んだ罪で両親を告訴する」。

エンターテイメント・シネマではない。
ノンフィクションでもない、が 
演じるのはほぼ AS THEY AREの出演者だと知って僕は衝撃を受ける、何も言えないほどに。
主人公ゼインの家は極貧、出生の記録もなければ身分証もない。
そんな階層に生まれたゼインの正義感と誇りのための闘いが全編にわたる。

あまりの貧困からの絶望に家を出るゼイン、
居候した先はエチオピアからの不法滞在・就労の母と赤ん坊のバラック小屋、
母親が逮捕され赤ん坊と共に生き抜こうとするゼイン、
そんなゼインに移民を勧める少女もシリアからの難民、
レバノンに留まる難民は150万人にもなるという、
その中真っ先に犠牲になるのは子供たち。

シネマは執拗に子供たちの不幸にフォーカスしていく。
いつの世にも、世界のどこにでも犠牲になる子供たちがいる(いた)ことを僕は思い出す。
本シネマは、そんな理不尽を訴え続ける、
そうしないと世界が子供たちを忘れてしまうかのように。

大人たちは、それとは逆に無気力であり、傲慢であり、悪意に満ちている。
いや、そうでない大人もいるが彼らは無力でしかない。

ふと気づく、
これは中東の、戦争難民の、経済格差による子供の虐待物語ではない。
裕福で社会保障が整った自由・平等を謳う世界、
例えば日本にも起こりうる悲劇だということを。

子どもの存在を忘れることの無いよう・・・・シネマに改めて諭された。
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