ラスト・シューティスト (1976)

文字数 1,116文字

【デューク いっぱいありがとう】 1979/7/9



案の定、ジョン・ウェインの遺作となった。
3年間お蔵入りになって、追悼興業として公開される仕打ちそのものが
ウェスタンの終焉を物語っている。
そして、ジョン・ウェインの死とともに、西部劇の時代は幕を下ろした。
公開3日目のまばらな観客席を見て、この思いは余計に僕の胸に覆いかぶさってきた。
悲しい。

作品も悲しい。
ジョン・ウェイン自身、ラスト作品であるとの自覚と意気込みがあるだけに、
そして自身と同じ病の役柄だけに悲しい。
癌と戦う老シューティストの設定だけではなく、
新しい時代に押し流されていく西部開拓のヒーローというイメージが重なってくる。
主人公ジョン・バーナード・ブックスの生涯は
すなわちデューク:ジョン・ウェインの一生であった。
あの、はつらつとした大男が自らの死に場所、
死に様を求めるだけで充分な感動ストーリーではないか。

既に病魔に侵されていたデュークのまぎれもない姿をスクリーンで観る時、
スクリーンの姿と実像との区別がつかなくなった。
そこに観るデュークは、相変わらずのアメリカンヒーローだった。
常に明るく、若者には理解ある先輩、女性にはだらしなく、
そして不思議なことには老年であっても父性的セックスアピールを周りにふりまいていた。

むろん、自らの死の道連れに悪を・・という強引さはアメリカンヒーローの面目躍如であるが、
それすら以前感じた独善性は影を潜めていた。
その意味では、本作がドン・シーゲル監督でよかったのかもしれない。
ドン・シーゲルはニュー・ウェイブ・ウェスタンのなかでデュークを際立たせてくれた。
決闘シーンはその証拠。
リチャード・ブーン、ヒュー・オブライエンら3人との打ち合いの形式は
一見スパゲッティ・ウェスタンかと見紛うものの、
きちんと一対一のガンプレイであった。
時代は大きく変わろうとしているが、
西部劇への頑ななおもいは、ニュー・ウェイブの流れの中でこそ、よく似合っていた。

ジェイムス・スチュアート(友情出演?)との記念写真的シーン、
ローレン・バコールとの安らぎのひととき、
シェリー・ノースとの現実感、
ロン・ハワードとの友情、
すべては静かに描かれていく。

エピソードは数多い、観客は彼がどのように生きたかに魅せられる、
どう死んだかではなく。

「付記」
デュークが死んだ。このシネマのように壮絶な死だったと聞く。
最後まで戦い抜いた生き方に感銘を受ける。
月並みではあるが、僕のベスト5:
①黄色いリボン
②11人のカウボーイ
③赤い河
④リオ・ブラボー
⑤捜索者

たくさん観すぎて選びきれない。
彼のシネマを観て育ち、
アメリカを学び、
そして何より楽しんだことは誰にも負けない。
 
偉大なるスターだった。



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