最高の人生の見つけ方 (2007)

文字数 837文字

【生きる「よすが」、死ぬる「よすが」】 2008/5/24



「後期高齢者」などという無神経な言葉を創りだすと思いきや、
《最高の人生の見つけ方》などと大仰な日本語に恥じ入ることも無い。
最近の日本は確かに変わってきたもんだ。
もし、この日本版タイトルが高齢者を意識した意図的なものであるなら、
これまた年寄りを馬鹿にし、
若者に誤解を招き反発を惹起させる危惧すらある愚かな作為だ。
どうも、公開のタイミングが悪いとしか思えない。

本シネマをブリーフィングすると、
余命6ヶ月を宣告された高齢者二人が出逢い、
互いに本能を目覚めさせるものの、
最後には本来の自分の生き方に戻るという、
優等生ストーリーである。

この、本能に目覚め・迷い・惑わされるくだりが、
いわゆる「最後にしたいことリスト」で、
このリスト実現パートは映像的にもストーリー展開においてもシネマの華となっている
・・・のだが、
普通人からすれば「そりゃ~、お金さえあればねぇ」
とおおいに白けるところでもある。
もちろん、最終教訓は「人生お金で幸福になれない」ということなんだろうが、
お金でできることの魅力をこうまで見せつけておいて、それは無いじゃないかい。

結局のところ、
僕はこの二人から、人は決して自らの人生を変えられないものだ
・・・を確認した。
それを演じたジャックとモーガン。
シネマの観処はシンプルにこの二人の名優競演だと思う。
何処にでもいる二人の死に行く老人。

お金のためではなく仕事が好きで働き続けた実業家には「家族」というトラウマがある。
家族のために働いてきた黒人ブルーカラーは「教養」というアキレス腱を持つ。
こんな彼らを違和感無く身近に感じられたのは、ひとえにジャックとモーガンのおかげだった。
二人の「リスト」は正しく消し込まれたたのだろうか?
観る者の生き方が問われそうだ。

誰もが人生すべてに満足して死ぬことはできない、
でもひとつぐらい何かを達成できるとすれば、人生も意味があるというものだ。
たとえ、この二人のようにまではできなくても。

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