武士の一分(いちぶん) (2006)

文字数 1,071文字

【キムタクありきのシネマ】 2006/12/6



まず、何はさておき、僕はキムタク(木村拓哉)が好きなことを明らかにしておきたい。
そして山田洋次監督の藤沢周平時代劇2作を過去に観てる事、
今回の原作「盲目剣谺返し」も事前に読んでいる事を前提としてきいて欲しい。
なぜなら、これからこのシネマを酷評するわけだけど、
決してジャニーズやSMAPに偏見など持って無いし、
アイドルからシネマスターになっていただくことにも
差別感など持ってるわけでも無いからだ。

大胆に言い切れば、本作品はキムタクありきのシネマ、
それ以上でもそれ以下でも無いということだ。
それでは以下具体的に感想を述べたい;

●過去二作の藤沢周平時代劇シリーズは、物語を山形県鶴岡周辺に設定し、
かってなかったリアリズム侍物語だった。
そこには懐かしくも美しい日本のふる里の山河、そこに生きる人々の生活が映像化されていた。
今回はほぼセットのみ。キムタクのスケジュールにあわせたためだろうか? 
その結果奥行きの乏しいシーンが続き、平面でしかシネマを満喫できなかった。
●原作のテーマを「夫婦の絆」に絞り込んだことに異論を挟むつもりはない。
しかしながら、僕は主人公をもっとストイックな武士であろうかと想定していた。
キムタクのやんちゃな性格をここで使う必然はあったのだろうか? 
あるいはスタッフがそれを敢えて要求したのだろうか?
邪推すれば、この演出はキムタクファンへの迎合なのか。
そうであれば、それこそファンを馬鹿にしてはいないか。
少なくとも僕はキムタクが映画俳優木村拓哉として輝くことを期待していた。
●全般に言えることだが、キムタクは役作り不足だ。
シネマ本編の一枚看板を張るには相当な役作りが前提だ。
それは個人の才能でこなせる場合もあろうし、事前準備無しでは到底歯が立たないこともある。
本作は藤沢周平の山田時代劇だ。生半可な覚悟では、期待している我々観客に失礼だろう。
おそらくはキムタクにはシネマ製作の真髄を理解するにいたる厳しい打ち合わせすら用意されなかったのではないか。
売れっ子タレントの悲劇である。

山田監督時代劇シリーズ三部作の掉尾を飾るべき作品が
なんとも情け無い結果になってしまった。
武家社会の下層に生きる侍たちを、
優しい眼差しで見つめた映像が観られず残念だった。
前作が懐かしい。
今作品には、意味の分からないお笑いシーンが、
そこここに散りばめられていたが、私は失笑するのみだった。

歯を食いしばって生きる侍に軽いお笑いはまったく似合わない。
学芸会とはいわないが、
創り手の理念喪失と等閑加減が伝わってきた。



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