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【僕らの時代、僕らのシネマだ】 2011/6/11



若さの特権が「純粋」で「危うさ」だとしたら、
還暦越えの僕は「無粋」で「平凡」なのかもしれない?
・・なんてすこし皮肉れている。

本シネマが描く【若さ】の象徴とされる1969年から1972年の頃、
同時代を生きた僕も純粋だったのだろうか?
何か少しでも危うかったのだろうか?・・・と思い返したりした。
多くの団塊世代の人間が、そんな後悔と懐かしさに包まれて
劇場のシートに深く身を沈ませていたのではないか。
そして呟いたかもしれない・・・
「これは僕たちのシネマだ」と。
当時のキャンパス生活を思い出す。

授業よりも休講が多かったな・・・
その授業もセクトにのっとられたな・・・
心は全共闘だったりしても、ゲバする根性までは無かったな・・・
山本議長は確かにカリスマだったが、僕の周りには一夜漬け闘志が多かったな・・・
朝日ジャーナルはよく買ったがほとんど読みもしなったな・・・
世の中左翼が主流だったが、実際には左翼はアクセサリーだったな・・・
CCRを歌ってたけどベトナムもやっぱり他国事だったな・・・
だが、いや だからこそ本シネマの二人の若者の心情が、痛いほどに理解できる。

当時からマスメディアはビッグブラーザーだった。
大手新聞社に就職することは「できる学生」のミッションとも思われていた。
そこで政治の闇を暴く、体制変革のリーダーシップをとりたいと願う、
戯言でなくそう世間は思っていた。

その逆サイドで、
体制の中にうずもれるしかない若者は、このビッグブラザーにシンパシーを願う。
世は左翼ブームの絶頂で、過激派は幻のヒーローに位置づけられていた。
偽りのセクトごっこに執着して、自分の存在を確かめるもう一人の夢見る若者。

「純粋」で「危うい」二人が交叉するところに大きな悲劇が起きたのだろう。

ノンフィクションをベースにしたとはいえ、あくまでも一方の世界からのお話だ。
僕には真実はわからない。
ただこの二人が行きぬいたその後の40年に思い至り涙ぐむこと暫しだった。

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