クローズド・ノート (2007)
文字数 816文字
【恋愛ファンタジー秀作に涙しました】 2008/4/13
近年お目にかかることができず、
もはや絶滅かと危惧していた大人のための本格的恋愛ファンタジー。
新しいユキサダワールドに舞い込んだ思い、嬉しくて仕方がなかった。
心地よい素直な涙を流したのも久しぶり、
近頃の荒んだニュースも忘れて幸せなひと時だった。
ずばり、秀作です。
ひとつには、ファンタジーたる所以の「熱い理想」を恥ずかしげ無く掲げたことに感激。
「強い心を持つこと」、
「諦めないこと」、
「出逢いを大切にすること」、
見事に小っ恥ずかしい言葉が胸を張って正面から登場してくる。
こんな時代だからこそ、小気味がいいではないか。
白けて惰性で生きる人生なんて意味はないではないか。
主人公女性二人は裏表になりながら、意思を繋ぎながらこの理想を伝えてくれた。
ふたつには、ロケーションの妙に感激。
「セカチュウ」でも感じたが、何処にでもあるような日本の風景を
苦心のあとを見せず再現している。
これはスタッフの感性でしか決断できない大きな才能だ。
この学園都市、川と橋の街、桜舞い散る古いアパート・・・、
このロケーションだからこそ恋愛ファンタジーはその鼓動を強く響かせた。
みっつには、映像ファンタジーの魔術に感激。
ミステリー(謎そのものはたいした重さを持ってはいないにしろ)の
叙述トリック処理はお洒落だった。
二人のヒロインが交差する映像にまったく違和感がなかったのも、冒頭からの洗脳のたまもの。
細かい配慮と仕組まれた布石は、まさにファンタジー魔術だった。
よっつには、キャスティングの狙い的中に感激。
沢尻さんの硬い演技からは大学2年生の生真面目さ、恋愛への盲信が見えた。
竹内さん、この方最近はどんな役柄にも自分の人柄で押し通す力がついてきたようで驚きだ。
結局はこの二人の成功が本シネマの成功になったと思う。
こんな年になっても作り物にしか過ぎない恋愛ファンタジーに涙する自分がいる。
そんな自分がちょっと誇らしい。
近年お目にかかることができず、
もはや絶滅かと危惧していた大人のための本格的恋愛ファンタジー。
新しいユキサダワールドに舞い込んだ思い、嬉しくて仕方がなかった。
心地よい素直な涙を流したのも久しぶり、
近頃の荒んだニュースも忘れて幸せなひと時だった。
ずばり、秀作です。
ひとつには、ファンタジーたる所以の「熱い理想」を恥ずかしげ無く掲げたことに感激。
「強い心を持つこと」、
「諦めないこと」、
「出逢いを大切にすること」、
見事に小っ恥ずかしい言葉が胸を張って正面から登場してくる。
こんな時代だからこそ、小気味がいいではないか。
白けて惰性で生きる人生なんて意味はないではないか。
主人公女性二人は裏表になりながら、意思を繋ぎながらこの理想を伝えてくれた。
ふたつには、ロケーションの妙に感激。
「セカチュウ」でも感じたが、何処にでもあるような日本の風景を
苦心のあとを見せず再現している。
これはスタッフの感性でしか決断できない大きな才能だ。
この学園都市、川と橋の街、桜舞い散る古いアパート・・・、
このロケーションだからこそ恋愛ファンタジーはその鼓動を強く響かせた。
みっつには、映像ファンタジーの魔術に感激。
ミステリー(謎そのものはたいした重さを持ってはいないにしろ)の
叙述トリック処理はお洒落だった。
二人のヒロインが交差する映像にまったく違和感がなかったのも、冒頭からの洗脳のたまもの。
細かい配慮と仕組まれた布石は、まさにファンタジー魔術だった。
よっつには、キャスティングの狙い的中に感激。
沢尻さんの硬い演技からは大学2年生の生真面目さ、恋愛への盲信が見えた。
竹内さん、この方最近はどんな役柄にも自分の人柄で押し通す力がついてきたようで驚きだ。
結局はこの二人の成功が本シネマの成功になったと思う。
こんな年になっても作り物にしか過ぎない恋愛ファンタジーに涙する自分がいる。
そんな自分がちょっと誇らしい。