ノー・マンズ・ランド (2001)

文字数 697文字

【人間としてのロゴス】 2007/9/9



シネマがいざなう不思議な世界のひとつに《無知との遭遇》がある。
僕だって、義務教育はもとより自己能力に見合う程度可能な勉学はしてきた。
それにしては、情けないほどの我が無知を優しく諌めながらも、
インスパイアーしてくれるシネマに、またまた出逢ったことに感謝する。

衝撃のラストシーンもさることながら、
全編とおして観る者に問いかけてくるのは人間としてのロゴス。
●戦争は、いや個人レベルの殺し合いは一体「なにから始まるのか?」
●お互いに、相手が仕掛けたと罵り合うだけ。
●その前提として、殺しあう大義はどこにあるのか? 
 政治信条か?宗教教義か?人種差か?
●通じ合える言葉を持つものが殺し合い、
 言葉が通じない国連軍がPKO活動できるはずもない皮肉。
●国連活動するフランス部隊からみえてくる、
 保身行為と売名行為。
●売名行為の最たるものは、TV取材班、
 拠りどころはビジネスであり、報酬であり名声なのか?

僕らはこんなロゴスを追及してきたはずではなかった。
いつまで人類は殺戮を続けるのだろうか。
無知ゆえに惹起される愚行なのだろうか。
僕がそして大勢が無知から覚醒すれば阻止できるものだろうか。

もしかして人類は決して殺戮をやめることができないよう
プログラムされているのではと思っている、最近。
銃器を手段とした殺し合いに限らず、
人類は生存のためにはあらゆる生命、同胞を含め、を踏みつけてきた。
地球温暖化などとごまかしているが、地球が勝手に暖かくなることも無く、
人類が自らの生き処を殺戮するに他ならない。

捨て置かれたのは、ひとりの兵士ではなく、
青き美しい母なる地球かもしれない。
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