運動靴と赤い金魚 (1997)

文字数 865文字

【勝手に難解】 2009/5/31



同じような国策シネマとして中国の《初恋のきた道》、《あの子を探して》を思出してしまった。教育現場の中で貧しくともけなげに生きる子供の姿に将来の安心を見る
・・・というシナリオだ。
このような教条的美談とリアリティが混在する、怪しい感動シネマの類もまんざら嫌いではない。シネマの魅力に取り付かれたクリエイターの情熱を認めるのにはやぶさかではないが、
国家政策上や宗教上の制約のもとでシネマを創る苦労やいかほどかと同情する。

しかしではある、
強くお奨めいただいた方には申し訳ないが、
チャン・イーモウ作品と比較するまでも無く本作は退屈だった。
運動靴が買えない貧しい家庭だけど兄妹の屈託ない明るさと、一方ではイスラム生活に実在する貧富の差が淡々と映し出される。
そこに見えてくるのは、
国策に基づいて、規制枠からはみ出さないよう注意するクリエーターの意図だった。
そんな苦しさばかりが伝わってきたものだ。

例を挙げるとすれば、
子供の運動靴も買ってやれない父親だけど、なにやら宗教活動には熱心なようだし、
富裕層と貧困層の格差はイスラム世界ですら解消できない課題らしい。
兄は妹のためにいかにして運動靴を取り返すのか。
清貧なイスラム教徒はいつか神に救済されるものなのか。
作品のテーマは奈辺にあるのか?僕は戸惑いだす。

別の意味からすれば、退屈というより難解になってくる。
裏読みしながらシネマを観るのは楽なことではない。
あまりの平坦な展開に僕は一人で悶々と影のメッセージを探っていた。

クライマックスのロードレース、
少年が優勝するが肝心の運動靴は手に入らない。
唯一兄妹の履物であるくたびれた靴もとうとうつぶれ、
少年に残ったのは傷ついた足指だけ。
運動靴を求めて、今持っている運動靴もなくしてしまう。

手にすることのできない何かの象徴が群れる金魚のシーンだったのか?
求めることの代償とはこんなにも過酷なものなのか?
・・・なんて裏読みもとどまることがない。

純粋な子供の世界を描いた内容でないことだけは間違いない・・・そんな想いだけが残った。
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