カリフォルニア・ドリーミング (1978)

文字数 1,249文字

【カリフォルニアは憧れの地です】 1979/12/9




シネマに夢と娯楽を求める僕にとって、久々に満足に浸れる作品に出会えた。
近年「ディアーハンター」、「ビッグ・ウェンズデー」にみられた映画作家の自己主張、メッセージを否定することなどない、いや、共感する立場であるが、時にはそれを負担に感じるときもある。
その点、本作のエンターテイメント包装の「まろやかさ」は貴重だった。
大きなテーマは二つある:
●兄の遺志を受けてカリフォルニアにやってきたジャズ狂の若者TT(デニス・クリストファー)の青春
●その若者を温かく見守るこれまた夢多き初老男の生き様
若者が東部から移り、巡り会う初老の男とその美しい娘。
男には別れた妻がいて、満更な仲でもない。
お決まりのサーファーたちとその恋人たち。
彼らを取りまくウェスト・コースト特有のくだけた人間像。
これらは定番ともいえるし、またもや「アメリカン・グラフィティ」パターンかと思いがちだが、どこか違う。
そう、彼らは皆夢を持って、その夢を追いかけて生きている。
白々しいと馬鹿にしてはいけない。
「ディアハンター」に夢はありえただろうか? 「ビッグ・ウェンズデー」にしても夢はもは色あせていたではないか。
「アメリカン・グラフィティ」の夢は無残にも押しつぶされてしまった。

でも誰が「今さら夢なんて・・」とか「白々しい・・」と決め付けることができるだろうか。
本シネマの時代もまさに、あの60年代。TTの無邪気さが危うくないとはいえないし、恋人コーキー(グリニス・オコンナー)との恋が成就する保証もない。
でもそこには、「大きくはなくても、彼らの夢があった」
・・・カリフォルニア・ドリーム。

ほらふきデューク(シーモア・カッセル)が本当にオリンピック選手で、サーファーのパイオニアであったにもかかわらず、ただ年齢をごまかす・・若く生きたい・・・と突っ張っていたことこそ夢の具現だった。
こんな夢見る人間たちに接してるんだもの、主人はが強く生きるだろう、恋人とうまくいって欲しい・・・という夢を観客が共有する。
この楽しさはシネマならではのもの。

サーフィンシーンは秀逸だった。ジョン・ミリアスの絵(ビッグウェンズデー)は現実のウェスト・コーストであったのに対して、ジョン・ハンコックのそれは「夢」のウェスト・コーストだった。
とくに、TTがサーフィンを教えてもらうシーンでの、望遠を使用した高速度撮影の美しさは忘れがたいもの。波に乗って岸に向かってくる二人が手を取ってバランスを保っている。その背景には海鳥が海面で戯れる。
「嘘でもいい!これがカリフォルニアだよね。」という想いで胸がいっぱいになった。

クライマックスのデュークの死。「マイウェイ」のラストにも似て感動的だがあれほど空々しくない。カリフォルニアに夢を追い続けた男の死を、見事に捉え切っていた。

TTがいつトランペットを吹くか・・と期待していたが。結局このシーンは観られなかった。
もっとも、デュークを偲んで一曲やられたら、しらけたかもしれない。

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