時計じかけのオレンジ (1971)

文字数 972文字

【サー・アレックス】 1979/8/23



キューブリックのリバイバル公開シネマ。
この間も《2001年宇宙の旅》がリバイバル公開されたが
本作を観てキューブリック映像の恒久性を強く感じた。
現代のテンポの速い変化の時代では、
10年近く前のシネマはその思想、道徳、社会通念の新鮮度は仕方無いとしても、
映像自体を理解したり、さらには受け入れることさえ苦痛であることが多い。
そんな状況の中、本作はまったく新鮮であった。

少なくともこの数年このような完璧に近い画像構成を観る機会は無かった。
キューブリックの近作(バリーリンドン)でさえも。
もしかしたら《バリーリンドン》もあと4~5年後にその真価が理解できるのかもしれないが。

映像の素晴らしさばかり述べたが、
実はシネマのテーマ自体も決して過去のものではないし、
映像同様 時代を先取りしたものであろう。
恐れを知らぬ暴力少年グループを描いた前半は、
暴力とSEXと麻薬に生きがいを見つける彼らの荒廃した道徳と家庭が描かれる。
冷たいほど完成された画面の中の少年たちの無軌道ぶりは、
ゾクゾクする恐怖を盛り上げる。

結局、観客自身これらの暴力に憧れ、肯定してしまうのだろうか?
キューブリックからの挑戦である。
後半のメッセージは、これら暴力的要素さえも人為的に変えることは、
人間の人間たる存在理由をなくすものとして、
医学の力で、まして政治的目的での作為は許されないという、
きわめてリベラルな結論にいたる。

しかし、単に国家の管理下に人間が位置するのを、
個人権利の侵害であるなどという理想論でないところが
《カッコーの巣の上で》と大きく異なるところである。

つまり、政治的理由で2度まで人格を変えられた主人公が
最後に嬉しそうに笑っていたのは、
人間が他の人間を作り変えることは罪である以前に、
不可能だということではないか?

キューブリックの皮肉な眼は時として温かいのである。
人間はしたたかな強さを持っている。
人間の性格を善悪で区別することなど出来ないことなのだ。
アレックスだって、ひょっとしたら、
エリザベス一世の時代であればスペイン船を襲い財宝を奪った功績で
「サーの称号」を貰ったかもしれない。

”ベートーベンの歓びの歌”が不滅なように、
人間の本能も簡単に消えていくものではなく、消せるものでもない。
相変わらずのキューブリックらしいセット、美術に完璧主義を見た。
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