福田村事件 (2023)

文字数 1,598文字

【百年前のことと言う勿れ】 2023/9/1


① 関東大震災から100年が経ち、目の前に東京直下地震を突き付けられているからと言って、百年前の災害を忘れること勿れ。
② 公的な資料が残っていない(本当にそうか?)からと言って、朝鮮人、社会主義者らの虐殺はなかったと公言すること勿れ。
③ 日本人が朝鮮人と間違われて殺されたからと言って義憤に突き動かされることも勿れ。

①、②についてはこれまで今に至るまで「勿れ」と思い続けてきたが、③のケースは100年後の今になって初めて知り得た事実だった。
加えて、ぼくには本シネマに寄せる想いに運命的理由がある。

2年前他界した父が生まれたのが1923年関東大震災の3月、生きていれば今年百寿になったことになる。

ぼくが生まれたのは香川県観音寺市、100年前は三豊郡と呼ばれ、朝鮮人と間違えられて虐殺された本シネマの行商人と同じ出身地だ。

震災時に父がいた場所は奉天(瀋陽)、その父親(ぼくの祖父)は東洋拓殖勤務、シネマの中で朝鮮を搾取する国策会社とコメントされていた。

関東大震災/香川県/朝鮮、キーワード・トライアングルの中で本作のメッセージがヒシヒシと伝わってきた。
タイトルになっている「福田村」は現在千葉県野田市にあったという。
シベリア出兵で戦死した夫の骨を抱えた遺族と朝鮮帰りの教師夫婦の列車内での噛み合わない会話からシネマは始まる。
地震が発生するまで福田村の日常がカリカチュアされて描かれる・・・・貧乏ながらも平和で村の結束を守り合う村人たち、その一方でヒタヒタと忍び寄る軍国主義の影、嫁舅、未亡人と間男、在郷軍人の単細胞、生半可なデモクラシーの村長、
これから悲惨な歴史に呑みこまれようとする日本人庶民の姿が再現される。

前述のとおり公の資料がない(というか隠蔽された)朝鮮人・社会主義者虐殺数は6000人とも8000人とも言われている。
朝鮮人・社会主義者の暴行・殺人・治安攪乱は憲兵隊、特高らによる流言飛語、意図的なフェイクニュース扇動だったが、その詳細は 本シネマの目的とするものではないので、いずれも象徴的な虐殺エピソードに留められている、とはいえ正視に堪えないシーンだった。

本作の「朝鮮人に間違われて日本人が一般庶民になぶり殺しされた」というテーマには複層的差別が隠されている。
被害者となる香川県から来た薬行商人一団は部落民(自らを穢多と言っていた)だった。
差別に苦しみ水平社の教えを信じる彼らに朝鮮人差別はできなかった。
福田村住民に取り囲まれ讃岐弁を理由に朝鮮人と疑われ、命を守るぎりぎりの瞬間一団の長が叫ぶ、
「日本人だったらいいのか? 朝鮮人だったら殺してもいいのか!」
福田村民には到底理解できない部落民の想いだった。
この悲惨な事件は福田村がひた隠しにし、殺戮を免れた6人も部落民ということで口を閉ざしたため、その顛末は定かでない。
虚構の中にしか真実はないとすれば、本シネマは1923年に震災で亡くなった人々の陰で意図的に虐殺された人たちの真実を 100年後に陽の元にさらし出してくれた。
虐殺されたのは9人の香川県人ではなくちゃんとした名前をもった人間だった。シネマでは9人のフルネームとお腹にいた赤ん坊に用意された名前も読み上げる。
その中に亡き祖母と同じ名前を聞き不思議な因縁を感じ、国家の愚行、横暴に押しつぶされた人間を悼んだ。

ラストシーン、朝鮮での悪夢から福田村に逃げかえった教師夫婦が小舟で利根川にこぎだす。
「どこに行くの?」
「どこに行くのかな?」
1923年9月、日本はたち戻ることのできない戦争への道を歩むことになる。

老婆心:
三豊の讃岐弁は西讃独特の方言だが、本シネマではしっかりとその特徴を捉えていた。
俳優さんたちの熱意に感動しながらも、一方でぼくは千葉野田弁が聞き取りづらかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み