鬼畜 (1978)

文字数 684文字

【二兎を追って混乱】1978年10月9日



暗いテーマ、本来なら企画されることもないだろう。
「子殺し」はどのように処理されようとも興味本位でシネマ化される対象ではない。
もっとも、そこに本シネマの価値が生じるとするマーケティングも成立するかもしれない。
事実、前半(末っ子の男の子の死まで)は暗いテーマ自体が良好に作動し、僕に人間らしい
本能的嫌悪感を噴出させ、登場人物に対峙させる。
小川真由美、岩下志麻、緒形拳ご三人の名演技がぶつかり合うほどに、この策にまんまと嵌ってしまう・・・
「なんてだらしのない亭主なんだ」
「意地の悪くて美人の女なんているはずもない」
「かわいい子供によくもあんなことを」
・・・となる。
目を背けたいと思いながらも、許しがたい対象(鬼畜)への反発が溢れ出すのは、
子を持つ親の裡に隠された複層的恐怖、もしかして自分たちだって・・・という恐怖を
引き出し、いやいやそんなはずは絶対にないと子供の価値を確認、納得する方向に作用するからだろう。

ところが、シネマ中盤から残りの子供たちの運命が予測できるにつれ「子殺し」テーマは
もはや暗さに満ちたテーマではなくなってしまう。
代わりに据えられたのが「ダメ親父とケナゲ少年」の対比という新規メタファーに進んでいく。
昔自分も捨て去られた身でありながら、子供に対して虐待を繰り返すダメ親父、
ケナゲ少年の叫ぶ「この人は父ちゃんなんかじゃない」はこの救いのない輪廻から逃れたい悲痛に満ちていた。
タブー「子殺し」に挑戦しながら解決することなく、別のテーマに逃げたという消化不良の想いが、静かに残ってしまった。
(記:1978年10月9日)




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