フューリー (2014) 

文字数 810文字

【アラモ砦 「フューリ―」】2014/11/29



ブラッド・ピット演じる戦車長の狂気に釣り込まれてしまう。
ハリウッドが世に送り出したあまたの戦争シネマの中でも興味牽かれるヒーロ―像だ。
名セリフを吐く・・・「理想は平和だが、歴史は暴力に満ちている」
アフリカ戦線から戦い抜いて3年間、
生きながらえてきたのは彼の徹底した独特のリアリズムだ。

敵であるナチを憎む、先に殺す、捕虜も殺す…敵には全く容赦しない。
戦争の現場とはそういうものだろう(知るべくもないが)。
どれだけ数多くの敵(人間)を殺すか、
その数字の差が勝利になるのは、それでもまだ机上の論理。
相対した敵は自分を殺しに来ている、
であるなら先に殺すしか自分が生きる道は残されていない。
そこにあるのは一対一の生存競争、最前線兵士の現実だ。

このあたりの感覚をブラッド・ピット以下フューリーのクルー全員が
上手くスクリーンに再現している。
チーフの異常さに辟易しながらもメンバーは彼の生存技術に自らの命を託す。
そのクルー全員も、どう見てもイカレテいるのだが、戦場では誰も気にも留めない。
そんな、今にも壊れそうな精神状態の戦車クルーに一石を投じるのが、
間違って配属された新兵。
狂気のフューリーに訪れるしばしの良心も、厳しい作戦の中窮地に追い込まれる運命の皮肉。
彼らが選んだのは、命令に従って文字通り死守すること。

ここに「一対一」ではない本物の戦いが始まる。
しかし、戦車クルーにとっては我が家を守る、そして我が家の長に従う行動に他ならなかった。
我が家である「フューリー」とともに戦う
・・・・その結果多くの味方を援護することにもなる。

フューリ―は彼らのアラモ砦になった。
今になってアメリカの愛国の象徴である「アラモ砦」が、亡霊のように、
70年前の戦争に再現されるのには、いかなる意味があるのか?

やはり、ヨーロッパ、中東での覇権をめぐる
新しい「歴史(暴力に満ちた)」が始まりつつあるのだろうか。

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