ディア・ハンター (1978) 

文字数 877文字

【アメリカに祝福あれ】 1979/4/9



《アメリカングラフィティー》のエンドで語られる若者たちのベトナムでの死、
《タクシードライバー》に代表されるベトナム帰還兵の狂気、
《ふたり》における平凡な兵士の戦争告発、
《帰郷》にみられる戦争犠牲者としての市民・・・・・
これらは各々僕にショックと感動を与えてくれたが
実際に僕の精神内部にまで入ってくるものではなかった。

一方、僕自身もベトナム戦争と意識的に関わりを持とうとしたことも無かった。
ベ平蓮のデモに参加したことにしても、今考えれば建前としての戦争反対でしかなかった。
「戦争は嫌いさ。だからベトナムに平和を!」
これが関わりと言える筈も無い。

だから、本シネマがベトナム戦争とアメリカ市民の関わりをすべてみせてくれたとき、
そしてマイケル、ニック、スチーブ達の関わり方を知ったとき、
自分の不明に初めて気がついた。
《アメリカングラフィティ》のノスタルジアと異郷ベトナム、
《タクシードライバー》の狂気と戦場、
《ふたり》のアメリカ市民意識、
《帰郷》の誰にも訴えることのできない悲しみと怒り。
それらが皆、はめ絵のようにぴったりと位置づけられてくる。
アメリカ市民がどんなに苦しみ、迷い、自信を失い、
そしてすべてに耐えた今、新しいだが険しいアメリカンウェイを
歩み始めたのだということが、ドジな僕にもよくわかる。

それは、マイケルの言葉を借りれば「ワンショット思想」の崩壊である。
つまり、「鹿はワンショットで倒されなければならない」と言う彼が
帰還後そのワンショットを故意に外す。

祖国のために銃を取らなければならないと考えた彼がベトナムの戦いで学んだことは、
「・・・・・・でなければならない」ことなど幻想に過ぎないことの認識であった。
彼にとってもはやワンショットが必要でなくなったと同様に、
多くのアメリカ市民が自らのワンショット思想に訣別したことだろう。

だが、たとえベトナム戦争が誤りであったとしても、
マイケルたちはアメリカに生きなければならない。
彼らが歌う「アメリカに祝福あれ」の呟きは、
厳しい未来に対するその決意のあらわれであろう。

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