百花 (2022)

文字数 1,139文字

【満を持しての完成度の高さ】 2022/9/9


予告編情報の中で「初監督」の文字が躍っていた。
おかげで不勉強だった川村元気さんの今までの実績を知って驚くことができた。
もっぱら、企画・プロデュースでの幅広い活躍、中には僕の好きなシネマがある、なるほど、準備万端満を持しての「初監督」だと納得した。
本シネマは、監督のほかに、原作・脚本も兼ねているところは企画出身らしい。
原作である小説は未読だが、当初から映像化を考慮していたものと思われる、脚本も然り。すべてはシネマ本編のためだったのだろう。

いつものように、シネマ内容には予備知識なしで拝見した、
全編を貫くテーマは「記憶」。
そのアンチテーゼが母親の若年性アルツハイマーという、重層的な仕組みがあった。
同じテーマを正面から扱った「明日の記憶(2006)」、「アリスのままで(2014)」の記憶がよみがえり一時悲惨な結末を予期した。

一方で、シネマ冒頭から気になることが続く。
撮影が浅い深度で主人公(母親と息子)を切り取る、周りの背景・人物はいつもぼんやりとしか見えてこない。
光の少ないシーンですらこのピンフォーカスが続く、意図するところがあるようだった。
そのおかげで原田美枝子、菅田将暉ご両人の美しいお顔をじゅぶん拝見できたのはシネマならではのお愉しみだった。
特に若き日の原田さんの妖艶美にはただただ女優魂を感じるのみだった。
物語は アルツハイマーが進行する母親とだんだんコミュニケーションが取れなくなる息子の葛藤、そして喧伝されていた「半分の花火」を見るクライマックスに突入していく。

ラストシークエンス、夜にもかかわらずフォーカスが遠くまで届いているのに気づく、本シネマで初めてかもしれなかった。
今までの人物に寄ったフォーカスは記憶の不安を表現していたのだろうか? 周到なメタファーに絡めとられていたことに気づく。
まるで靄がはれて覚醒したかのように、そこで明かされるシネマのメッセージに僕は打ちのめされる。

認知症だの、ボケ老人だのと決めつけ遮断してしまう僕たち、そんな思い込みをを揺るがせるエンディング、
人は心の中で遠い昔の楽しい思い出や優しい語らいに浸ることができる、外部とつながることができなくてもたった一人だけで。
考えてみれば人生の一コマすべてを思い出せる人は何処にもいない、人は忘れ去る生き物でもある。
「忘れていたのは僕だったね」 息子は母を取り戻した。

このゴールに到達するまでの道筋で、記憶のほかに重要な要素だったのは女性の生き方。
女性として生きるか、はたまた母として・・・
ここでも製作者のメッセージきっちりと伝わってきた、
女性本人が選ぶことであり後悔することでもない。

繰り返しになるが、きめ細かい用意周到な賢いシネマだった。
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